脚気脳

昨日の記事で「脚気(かっけ)脳」という言葉への質問があった。

俺はけっこう日常で使う言葉なのだが、

一般的ではないのかもしれないので、一応、説明しておく。

 

脚気の検査で膝の下あたりを叩かれると、ぴくんと反応するように、

ざっくり言うと、「反応がよい」ということだな。

 

俺の仕事のやり方は、0か100のところで思いっきりやるので、

どうしても嫌悪感を抱かれたり、「押川、それアウトじゃねーの?」と思われたり、

ようするにギリギリな感じなのである。

 

普通のひとは大抵、顔をしかめたり、眉をひそめたりして俺を避けるのだが、

懇切丁寧に説明し、最終的に結果が出れば、

「押川さんがあのとき、どうしてあんなことをしたのか、やっと分かりました」

と言ってくれる。もちろん、避けたまま帰ってこないひともいるが……。

 

しかし50人に一人くらい、さわりを見ただけで、俺の言わんとすること、

やろうとすることの本質を見抜いてくれて、

「それ、いいね!」と言ってくれるひとがいる。

 

俺はこういうひとに会うと、「素晴らしい脚気脳をお持ちだな」と思う。

俺は、この「脚気脳」が優れているひとが、非常に好きだし、話も合う。

 

実は、俺みたいな見た目もやっていることも危ない奴に、パッと同調するというのは、

ある意味、危険なことでもあると思うんだな。

俺だって判断をあやまって行きすぎることもあるし、

本当に危険な状態に巻き込まれることだってあるからだ。

 

しかしこの「脚気脳」の優れているひとは、そういうところのバランス感覚も良くて、

俺が暴走しないよう、叱ってくれたり、助言をくれたりする。

 

「脚気脳」というのは、危ないことと正しいことの究極のバランス感覚でもあるな。

だから俺は「脚気脳」の優れているひとを見ると、

「このひとは、けっこうな場数を踏んでいらっしゃるな」とも思うのだ。

 

これはおそらく、大人なってから身につくものではなく、

子供の頃からの育てられ方によるだろう。

少なくとも、親からぎゅうぎゅうに押さえつけられたり、

「ああしろ、こうしろ」なんて命令ばかり受けて育ったのでは、

「脚気脳」は成長しないと思うぜ。