閻魔帳

何年も前の話になるが、あるとき、「本気塾」の塾生の一人(女性)が、
やたらとイライラ、ムシャクシャしている様子だった。

 

まあ、人間調子が良いときもあれば悪いときもあるのだが、
他の塾生とも喧嘩を繰り返すなど、あまりにも度が過ぎていたので
俺は彼女を呼んでじっくり話をした。

 

もともと俺のところに来るような奴は、
薬物やアルコールといった問題を抱え、
家族をはじめとする人間関係も破綻している。

 

問題は山積み、悩みも尽きない中で、
根底にあるのは、「他人から認められたい」という、強烈なまでの欲求である。
しかし現実には、100%他人から認められ、褒められ、崇められ……
なんてことはあり得ないわけで、どうやってその現実と折り合い、
ひいては自分という存在と折り合っていくか、
落としどころを探す作業の繰り返しなのである。

 

彼女もその過程の中で、他人から認められたい、
他の塾生よりすごいと言われたいと、必死だった。
「内省ノート」までつけて頑張っている、と主張するので、
俺はそのノートを見せてもらった。

 

すると、あ~らビックリ!!
そこには、「〇〇さんが、私にこんなことを言った」
「△△さんが、こんな問題行動をとっていた」「××さんの、ここがおかしい」……
などという、他人の言動をチェックし、記録する文章がびっちり、書かれていたのである。

 

「これは、内省ノートどころか、閻魔帳だ! こんなもの書くのはやめろ!」

 

俺は彼女を叱った。
閻魔帳を後生大事につけていたのでは、
イライラ、ムシャクシャするのも当たり前である。

 

彼女は、閻魔帳というネーミングで気付くものがあったようで、
それ以降、ノートはつけなくなった。

 

さて、なぜこんな昔の話を思い出したかというと、
現役で(笑)、閻魔帳をつけているおっさんの話を聞いたからだ。

 

このおっさんは、某一流企業に勤めているのだが、
とにかくまともに仕事をしないと、評判である。
無関係の俺の耳にまで、何かと噂が入ってくるくらいなのだ。
しかし、会社の中ではそこそこのポジションにいて、
順調に出世を重ねている。

 

あるとき、このおっさんのかつての上司に当たるひとが、
俺にその答えを教えてくれた。それが、閻魔帳である。

 

このおっさんは、同じ会社の人間の、たとえば不正とみられなくもない金の使い方や、
おおっぴらにできない男女の付き合いなどにひたすら目を光らせ、
逐一、自分の手帳につけているというのだ。

 

そしてここぞというところで、その情報を出す。
「〇〇さんは、△△さんと付き合っていましたよね……」
「〇月×日の、あの領収証は、不正ですよね……」と言って、
他人の足をひっぱり、自分の立場を守るのだ。

 

大きな組織になれば、足の引っひっぱりあいは、上層部にもある。
そういうときは、このおっさんの閻魔帳が役に立つため、
一部の上層部の人間から、重宝がられているのだそうだ。

 

つまりおっさんにとっては、閻魔帳が出世の飛び道具ってわけだ。

 

俺はつくづく思うのだが、
ひと様から認められる、肩書きがつく、金が入ってくる、というのは、
もっと大きなことや面白いこと、ひと助けになることをするための手段であって、
それが目的になったときには、必然的に生き方をあやまることになる。

 

その証拠に、このおっさんは、しこしこと閻魔帳を書き、

他人をおとしめることで自分は出世しているつもりかもしれないが、

周りの奴らは、ことごとく、このおっさんの生き様を軽蔑しているのだ。
それって、けっこう悲しいことだと、俺は思うぜ。