点と線

ここ数日、精神科病院に入院している本気塾の塾生から、

一日に十回も二十回も電話がかかってきている。

 

「退院したい」と言ってみたかと思えば、

「調子が悪いので、まだ入院していたい」と言う。

「小遣いを送ってくれ」「生活保護を受けたい」「子供が生まれました」

……などなど、妄想まじりの発言もある。

 

本気塾の塾生など、俺が携わっているひとたちは、おおむねこんな感じである。

「働いて人生やりなおします」と言ったそばから「この仕事は嫌だ」と言ってみたり、

「親にはもう迷惑をかけない」と約束した翌日に、「親に連絡をとらせろ」と暴れたりする。

その日の気分や出来事によって、言動はコロコロ変わる。

 

彼らを見ているとつくづく、『点』で生きているなあ……と思う。

 

その場のノリ、感覚、欲求、目先の金。

そういうものに踊らされて快楽を享受し、

都合が悪くなると、ひとも場所も、転々と変えてゆく。

 

当然、他者とのつながりも、線となる生き様も、ない。

 

違法薬物なんて、その最たるものではないかな。

頭では「いけない」と分かっていても、

クスリ欲しさに法を犯し、大切なひとを裏切ることさえできてしまう。

そこには過去も未来もなく、『点』の快感、快楽しかない。

 

その『点』の生き方を『線』の生き方に変えていくのは、本当に大変なんだよ。

薬物をやめればいいとか、どこかにちゃんと就職すればいいとか、

そういうことではないからね。

少なくとも、十年単位の時間がかかる。

 

だけど、こういう子供を作る親っていうのもまた、

『点』の考え方で生きているんだよな。

 

子育てにおいて、子供にゆるぎない人生哲学とか、

どっしりした幹となるような愛情を、与えていない。

 

だから、子供が進学校に通っているとか、

いわゆるエリートコースという名のレールに乗れているうちは

親子とも調子よくいけるのだけど、

ひとたびそこから外れたときには、双方が糸の切れた凧みたいになる。

 

親は親で、本人の言動に一喜一憂して周囲を振り回したり、

「こうするしかない!」という結論を出せずに、フーラフラしている。

「入院させれば」「施設に預ければ」「薬物さえやめれば」何とかなる……

という、『点』の考えで動いてしまう。

 

そして、こういう親に限って、公的機関を利用して、

お金をかけずにすべてを解決しようとするのだが、それは無理な相談だ。

 

なぜならこの公的機関こそが、『点』の働きしかしていないからだ。

保健所は、対応の難しい患者には「何かあったら110番通報を」と言うだけだし、

医療機関が面倒を見てくれるのは、三ヶ月の入院期間だけ。

本人の過去から未来までを、『線』で考えてはくれない。

それが、精神科医療の分野の、現状なのだ。

 

このところを、問題を抱える家族こそ、

よーく分かっておかなければいけないのではないかな。