壊れるものと壊れないもの

俺は昔から、“もの”に対する執着が薄い。

 

今、身の回りにある持ち物にしても、思い入れのあるものはほとんどないし、

もし何かの事情で今すぐそれらを手放すことになっても、

たぶんそんなに落ち込まない。

 

18歳で親元を離れてから、根無し草みたいな生き方をしてきたから

“もの”に対して執着しないという癖が、ついてしまったのかもしれない。

 

一般のひとから見たら、俺のほうがおかしい部類に入るのかもしれないが、

“もの”に執着せずにいられる生き方は、楽ちんでいいぞ。

 

それにこれは俺の実感であるが、今、40代以降のひきこもりが、とても多い。

と言っても、その年齢で急にひきこもりになったのではなく

10代後半~20代の間に、何らかの理由で不登校や無就労の状態になり

そのまま何十年も放置された結果、今では、社会性を失っているパターンである。

 

中には精神疾患を発症してしまっているケースや、

親への恨み辛みが募り、激しい家庭内暴力を繰り返しているケースもあり、

面倒をみきれなくなった家族が、俺のところへ相談に来る。

 

なぜ親は問題に気付きながら、何十年という間、放置してしまったのか。

親の言い分としてけっこう多いのが、

「住むところ(持ち家)もあるし、土地(不動産)も持っているし、

本人を一生、食べさせるくらいのお金はあるから」

というものである。

 

だから、本人が学校に行かなくても、働かなくても、

とりあえず食うには困らないのだから……と、

問題解決のための行動を起こさず、本人の好き勝手に生活をさせてしまった。

 

昼夜逆転、暴飲暴食、外出しない、入浴や見繕いもしない。

それでいて、ギャンブルやゲームに依存したり、酒やタバコにおぼれたりしている。

 

そんな不健全な生活をしていれば、こころが不健全になっていくのも当然だ。

 

それに、よく考えてみてほしいのだ。

家にしても車にしても、“もの”は、どうしたって時間の経過とともに、壊れていく。

 

親が生きているうちは、メンテナンスしたり買い換えたりできるかも知れないが、

親が亡くなったとき、正当にそれらを維持するだけの能力が、子供にあるだろうか。

 

土地や不動産にしてもそうだ。

都心なんてとくに、これだけ地震が頻発している時代だし、

このまま少子化が進めば、消滅するかもしれない都市があるとも聞く。

土地や不動産の価値が、永遠にあるとは限らないのだ。

 

言ってみれば、そういった“もの”は、あってないようなものである。

 

金にしたって、いくら莫大な金を子供に残そうが、

本人がひきこもりやこころの病気を抱え、

それをまともに使いこなすだけの能力がないとなれば、

最終的には、不幸を呼び寄せるだけである。

 

だからこそ、問題を抱えた子供のために、親が残してやるべきは、

家だの土地だのといった“もの”ではなく、“ひと”とのつながりなのである。

 

たとえ自然災害があっても、命がある限り、

ひとのこころや、ひとのつながりは壊せないだろ?

 

そのためには、行政や医療機関に積極的に働きかけ、

子供と人間関係をつくってくれるひと、間に入ってくれるひと、

何かあったときに動いてくれるひと……

そういう専門家たちと、まずは親自身がつながりを持つことだ。

 

「子供の問題を何とかしてくださいよ!」と丸投げするのではなく、

第一に親が、専門家と人間関係を育む努力をすべきなのだ。

 

それでもどうしてもダメだったら、俺のところみたいな民間の会社もある。

 

本当に子供のためを思うなら、

“もの”を遺すことに必死になるのではなく、

“ひと”を遺すことに必死になってほしい。

 

諦めず粘り強く、感謝と謙虚な気持ちを忘れなければ、

必ず耳を傾け、力になってくれるひとも、現れるだろう。絶対だ!