俺が唸った! 名言 その10

「日本は、“気づかせない”国になった。

 “気づく”ことができるよう変えていかない限り、この国に未来はない」

                                                                          (こころある弁護士)

 

本気塾に助けを求めてくる若い奴も、

この“気づき”が決定的に欠けていることが、ほとんどだ。

 

素敵な恋人だと思っていたら、実は暴力団関係者だった。

割のいいアルバイトをしているつもりでいたら、いつの間にか犯罪行為に加担していた。

楽しいサークルだと思って参加していたら、実態は反社会的集団だった。

 

本人たちは、真実が分かると、「気づかなかった」「そんなつもりじゃなかった」と言い、

しまいには「騙された!」と、被害者の立場をとりはじめる。

 

でもよくよく話を聞いてみると、

「なぜその時点で、おかしいと気づかなかったんだ?」というようなエピソードが、たくさん出てくる。

普通の人間だったら絶対に近寄らないような人間、場所に、のこのこと近づいて、

一緒になって楽しんじゃった時間があるのである。

 

だから俺からすると、彼らは純粋な被害者ではなく、

むしろ加害者、犯罪集団の一味じゃん、と思うのだ。

 

この手の「なぜ、気づかなかったんだ?」ということは、他にもたくさんあると思う。

振り込め詐欺のような、高齢者に対する詐欺もそうだし、

俺の仕事で言えば、なぜ今まで子供の問題に気づかなかったんだ? ということもある。

 

もっと大きなことで言えば、今日本が抱えている諸外国との問題も、

本当はずっと昔から、水面下で捏造やら工作やらされてきたのに、

日本という国に“気づき”がなかったからこそ、今になってあたふたする羽目になっている。

 

しかし、この名言を言った弁護士の先生も言っていたことだが、

真実に“気づかせない”国にしたのは、紛れもなく、この国の方針である。

 

真実に“気づく”ことのできる人間というのは、現実に即した生き方をしている。

「自分はこれしかできない」「自分の能力はこの程度だ」ということを

よく分かっていて、身の丈に合った人生を歩んでいる。

 

そういうひとは大抵、幼少期に親に本当のことを教えられて育ってきて、

なおかつ苦労もして、真実を見る眼力を養ってきている。

 

だから本来なら、家庭教育にしても、学校教育にしても、

子供のうちから、きついことや辛いこともさせたうえで、自分の能力や適正を正確に見極めさせる、

そういう教育をしなければ、“気づく”ことのできる人間には、ならないのである。

 

ところが実際には、子供のうちから、平等や夢、希望だのやりがいだの、

フワフワした耳障りのいい言葉を使って、現実とは程遠い空想を植えつけている。

 

これはなぜかと言えば、フワフワしてくれないと、消費財にならないからだ。

 

たとえば、自分なんてしょせんはバカだ、と分かっているひとは、

大学なんて行かないし、資格をとるために金をかけたりしない。

自分なんてしょせんはブスだ、と分かっているひとは、

金をかけてエステにいったりなんかしない。

 

つまり、現実を見て、真実を知るほど、ムダな金を遣わなくなるんだな。

 

それじゃあ困るってんで、この国は、

平等や夢、希望だのやりがいだのという言葉を使って

「塾に行って、お稽古事をいっぱいして、大学に行きさえすれば、

ばら色の人生が待っている……」という夢物語を、長らく語ってきたのである。

 

しかし現実はどうだろう。

俺は、そういう教育の成果として、

自分の身の丈を忘れて犯罪に巻き込まれたり、

あるいは理想と現実の乖離により心の病気になったり、

そんなひとを、山ほど見てきた。

 

犯罪や病気とまではいかなくても、消費財としての生き方しかできないひとが、

爆発的な勢いで、増えつつある。

 

そういうひとたちにとって、今さら真実を知らされることほど、耳の痛いことはない。

だから、真実に気づき、本当のことを声高に言う人間を徹底的に敬遠し、

場合によっては大きな圧力をかけてまで、排除しようとする。

 

でもな、真実に“気づく”ことのできるひとほど、

本当のやさしさを持っているんだよ。

 

この弁護士の先生だって、本来なら、部下でもいっぱい抱えて、

自分は事務所にふんぞり返っていてもいいような経歴の持ち主なのに、

クライアントからの些細な要望にも自ら足を運び、

誰もがやりたがらないような案件を一手に引き受けているんだぜ。

ほんと、かっこいいよな……。