家族は互いに殺し合う

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(以下引用:千葉日報 2015年2月10日)

 

息子が父に灯油→父怒り金づち 殺人未遂容疑で2人とも逮捕

 

千葉西署は9日までに、父に灯油を浴びせて火を付け殺害しようとしたとして殺人未遂と現住建造物等放火未遂の疑いで千葉市美浜区、無職の長男(32)を、長男を金づちで殴り殺害しようとしたとして殺人未遂の疑いで同居する自称調理師の父(64)を逮捕した。

 

長男の逮捕容疑は8日午後1時10分ごろ、自宅で石油ストーブの灯油を父に浴びせて部屋にもまき、火を付け殺害しようとした疑い。父の逮捕容疑は長男の後頭部を金づちで複数回殴り殺害しようとした疑い。長男は全治約1週間の軽傷。父にけがはない。

 

同署によると、親子げんかが高じて長男が灯油をまき、激高した父が制止するため殴った。2人はいずれも容疑を認め、それぞれ「殺そうと思った」などと供述している。帰省していた長女(27)が110番通報した。

 

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150210-00010003-chibatopi-l12

 

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親子ゲンカがケンカで済まず、殺し合いの時代になった。

 

しかし我々が想像するより遙かに多くの家庭で

こういった事件、もしくは事件一歩手前のことが起きているのではないか。

常々言っていることだが、俺はそう思っている。

 

一方で、この国では法律的に、「家族の縁は切れない」ことになっている。

親子であれば、住民票や戸籍の附票を容易に取得して住所を知ることができるし、

よほどのことがない限り、相続権を失うことはない。

 

家族が専門家(医療機関や保健所)に相談にいったところ、

「本人をおいて家族が逃げるしかない」と言われた、という話はよく聞く。

これは、家庭内暴力による殺傷事件が起きたときに、

専門家やコメンテーターがもっともらしく言うことでもある。

 

もちろん、命の危険が迫っているような場合には

緊急避難的に、自宅から逃げるしかないこともある。

 

だが、これでは根本的な解決にならない。

 

本人をおいて引越をしたあと、住民票に閲覧制限をかける方法もないわけではないが、

そもそもこの狭い国では、生活圏も限られている。

職場も親戚づきあいも友人関係も何もかもが、コンパクトにまとまってしまっている。

 

だから居所を変えたところで、職場を知られていては意味がないし、

仮に親は仕事を辞めて逃げることができたとしても、

ほかの子供たち(本人の兄弟姉妹)はどうなるのか、という問題もある。

 

実際に、兄弟姉妹は自立や結婚等で実家を出て、本人とも距離を置いているのに

生活圏がかぶっていることで、なし崩し的に問題に巻き込まれている……

そういう例は、とても多い。

 

「本人をおいて、家族が逃げるしかない」

というアドバイスは、まったくもって現実的ではないのだ。

 

少し話が逸れるが、自民党が2012年4月27日付で出した憲法改正草案に、

次のような家族の規定が新設されている。

 

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第3章 国民の権利及び義務

第二十四条(家族、婚姻等に関する基本原則)

 

家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。

家族は、互いに助け合わなければならない。

 

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家族が互いに殺し合うニュースを読んだあとでは

「互いに助け合う」の文字が、むなしく見えるな。

 

もちろんこれはあくまでも草案なので、

実際にどうなるかは今後も議論が重ねられていくのだろうが、

家族の絆が薄くなってきたことに対する、

国家としての焦りすら感じる一文ではないか。

 

しかし俺としては、家族が互いに助け合うことは、

もはや恵まれた一部の家庭における「理想」でしかないように感じる。

 

解決の難しい問題を抱えてしまった家族は、

助け合おうにも、本人と話しあい、理解しあう術を持たないのだから。

 

だからこそ、「家族の代わりに本人に会って話ができる」

スペシャリストを増やすことが必要だと、俺は訴えている。

 

まずは本人に会い、必要に応じて医療や福祉の手助けを借りられるよう導く。

あるいは、家族に依存しなくてもすむような、自立の道を模索する。

 

家族は、本人が何をしているのか、最低限の把握こそ必要だけれども、

あとはほどよい距離感をもって永遠に平行線でいくしかない。

 

殺伐としているようだが、互いに殺し合って人生を終わりにするよりは、遙かにマシだ。