子供と金

アベノミクスと言われても、一般市民にしてみれば、

景気が回復している感じはない。

将来的な不安を抱えながら、ぎりぎり、かつかつのところで

生活をしている家庭も、多いと思う。

 

こういう時代だからこそ、「金」の価値が見直されているかというと

どうも、そうでもないようだ。

とくに年齢の若い子供たちの、金への価値観については

首をかしげざるをえないことも、多い。

 

最近は、15、16歳のうちから、親を脅して金をむしりとり

ゲームやアニメにつぎ込んでいる子供がいる。

女子の場合は、化粧品や美容代に消えていくこともある。

月々の数千円の小遣いの範囲内で楽しむならまだしも、

親の金を、2万も3万も使い込んでいるのである。

 

しかもそういうところの親に限って、仕事がうまくいっていなかったり

父子(母子)家庭だったりして、経済的に厳しい環境にある。

それでいてなぜ、子供に大金を与えてしまうのか。

 

おそらく最初のとっかかりには、

「子供がかわいそう」という思いがあったのではないかと思う。

いつも辛い思いをさせているから、寂しい思いをさせているから。

たまには子供の欲求を叶えてあげようと、財布の紐を緩める。

 

これは、子供が精神疾患の場合でも、同じである。

この子は病気で働けないのだから、かわいそうだから、という理由で

本人の言うままに、お金を与えてしまう親がいる。

 

親は愛情の一つと思っているのかもしれないが、

手のかかる子供と向き合うことが面倒なあまりに、

金で何かを与えて、その場を逃れたいという気持ちが、

どこかにある(あった)のではないだろうか。

 

子供からの金銭の欲求は、たいていはエスカレートしていく。

自分で汗水たらして稼いだ金ではないからこそ、使うのも簡単だし、

使う一方だからこそ、欲求は加速度的に肥大していく。

 

子供が親を、叩けば金の出る「打ち出の小槌」と思い始めたときには、

親と子の上下関係は、すでに逆転している。

金を得るためなら嘘もつくし、暴言や暴力も振るうようになる。

こうして逆転した親子関係を正すことは、容易ではない。

 

今の子供たちは、生まれたときから消費の対象である。

着ているものも、持っているもの(携帯など)も、

俺がガキの頃よりは、だんぜん、金がかかっている。

そのぶん、子供たちにとって金は、親が思うよりよほど身近なものなのだ。

 

一方で、金を稼ぐことはラクではない時代になっている。

この大きな矛盾を、甘く見てはいけない。

 

千葉県で起きた18歳少女が遺体で見つかった事件では、

主犯の加害少女と被害者との間に、金銭トラブルがあったという。

18歳という年齢に、金銭トラブルという単語は、あまりにも不釣り合いである。

しかも殺人にまで発展した。背筋が寒くなる思いだ。

 

しかしこれは、対岸の火事ではないとも思う。

 

子供に、金の価値をどう教えていくか。

親の価値観がもろに反映される課題でもある。

 

少なくとも、寂しさを金で埋めるような、

愛情を金に代えるようなことがあっては、ならないのだ。