自分の価値

先日のブログの続きにもなるのだが

自分という商品を磨きつづけること自体は

そんなに難しいことではない、と俺は思っている。

 

中長期の目標をもったうえで、

目の前のことを一生懸命やればいいのだ。

 

それより、もっと大切なことは、

「自分の価値がどの程度か、よく分かっておく」

ということではないか。

 

俺のところには、犯罪に巻き込まれて、

助けを求めてやってくる若い奴らが絶えないのだが

彼らの共通点は、「調子にのっている」ってことだ。

 

その根拠はだいたい、学歴とか見てくれにあるのだが、

だからといって、「超」がつくほどの一流ではない。

その程度でよく自信満々にできますね、って感じなわけだ。

 

最近の犯罪者や犯罪集団は、そこにつけ込んでくる。

 

最初は「良い思いをさせてあげる」と甘い言葉をささやき

金やら何やらを与えて、実際に良い思いもさせる。

そうやって囲い込み、気づかれないうちに、

違法行為を行うコマの一つとして、利用するのである。

 

それだって、第三者が客観的に聞いていたら

「そんなにおいしい話があるわけないじゃないか」

「普通は、何かウラがある、と気づくだろう」

という内容ばかりである。

 

だけど当の本人は、まったく気づいていない。

自分がそれだけの対価に値する人間だと、大いなる勘違いをしているからだ。

 

しかも、そうやって事件に巻き込まれてもなお、

「(自称)イケてる自分」を捨てようとしないのだから

ムダに高いプライドほど、捨てられないものだと思い知らされる。

 

この間、再三にわたりドローンを飛ばし、逮捕された少年がいたけど、

年齢が若いだけで構図は同じやなあと、ニュースを観ながら思った。

少年の親は、パソコンやドローンをぶっこわしたりしていたようだが、

新しいものを買い与えるパトロン的な大人たちがいたという。

 

子供とはいえ、社会における自分の価値(程度)を認識せず、大事にもしていなければ、

企みのある大人に利用され、玩具にされ、取り返しのつかないことになるのだ。

 

ならば調子に乗りすぎず、謙虚にさえしておけばいいのか?

と言われると、そうでもない。

謙虚も過ぎればたんなる卑下になり、かっこ悪くなるからな。

 

ようは、バランスが大事なのであろう。

 

そしてこの「自分の価値」に対するバランス感覚って、

どれだけのひとから、自分の長所と短所を指摘され

それを素直に聞いてきたかで、決まるのではないか。

 

俺が知っている人間力のあるひと、魅力のあるひとたちは皆、

幾つになっても、そうやって他人に揉まれて、

良い指摘も嫌な指摘も同等に、素直に受け止めて生きているひとばかりだ。

 

だいたい人間の価値観なんて、本当に自由で多様なのだから

いろんな立場のひとから、いろんな評価を受けることで初めて、

社会における自分の立ち位置みたいなものが分かってくる。

 

だけど最近は、ひとから嫌な指摘を受けたくない、いいことしか聞きたくない、

褒めて褒めて……というタイプの人間が増えているように思う。

 

俺のところに相談にくる家族や子供も、この手のタイプが非常に多い。

 

その分、学校も会社も制約だらけになる一方で、

誰も本当のことなんて言えないし、言わなくなってしまった。

 

だからこそ俺は、家庭が最後の砦だと思っている。

褒めて育てるのもいいけど、たまには「調子のんなよ!」と戒めてやらないと。

それができるのは、もう親しかいないんだよ。