どうして「命」が軽く扱われるのだ!

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(以下引用:時事通信 2015年7月9日)

 

「死ぬ場所決めた」=担任とのノートに記述―岩手の中2男子死亡

 

岩手県矢巾町の中学2年の男子生徒(13)が列車にはねられて死亡し、担任とやりとりするノートにいじめを受けていた記述が見つかった問題で、生徒が死亡の6日前、「もう死にたい」「死ぬ場所も決めている」との内容をノートに書き込んでいたことが9日、父親への取材で分かった。

 

父親は、学校からこうした記述について報告を受けたことはなく、ノートも亡くなった後に初めて読んだという。「一度でも連絡してくれたら助けられたのに。怒りしかない」と憤った。

 

父親によると、生徒一人ひとりが一日の反省などを記入し、担任に提出する「生活記録ノート」には、中学1年の後半の時期、いじめを受けたと書かれ、本人も「悪口を言われた」「しつこくされている」と話していた。当時の担任や相手の生徒を交えて話し合い、収まったという。

 

しかし、2年に入ってから「学校に行きたくない」と訴えるようになり、ノートに特定の生徒の名を挙げて「殴られた」などと書いていた。「死にたい」という趣旨の記述もあった。

 

自殺をほのめかす書き込みは6月29日にあり、生徒は7月5日夜、JR東北線矢幅駅のホームから転落し、普通列車にはねられ死亡した。自殺とみられる。

 

学校によると、ノートはいじめを知る重要な手掛かりだが、校長は7日の記者会見で、男子生徒のノートが情報共有に活用されたかは未確認と説明。毎年行っている生徒全員が対象のいじめに関するアンケートも、今年度は行事の関係でまだ実施していなかったことを明らかにした。

 

また、生徒が亡くなる以前、いじめの記述について担任から報告を受けたことはないとし、「いじめの認識はなかった」と話した。

 

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いじめた側に最大の非があることは当然として、

これだけ明確にSOSが発せられていながら、

なぜ、助けられなかったのだろうか。

憤りを通り越して、不思議でならない。

 

他の記事によれば、この担任教師は、直接生徒の相談にも乗り、

いじめの仲裁に入ることもしていたようである。

 

それでいて、「生活記録ノート」に書かれたSOSを、

担任教師が無視するに至ったのは、一体なぜか。

学校側が、「いじめの認識はなかった」というのは、本当か。

いじめ問題に対して教師がどう対応すべきか、

学校全体で取り組んでいたとは思えず、非は免れない。

 

いずれにしても、担任教師の心の動き、

学校側の対応の真相がつまびらかにならない限り、

子供を救える体制には変わっていかないように思う。

 

テレビを見ていたら、あるコメンテーターが

「暴力を振るわれたら警察を呼ぶ。学校と関係なく警察を呼ぶということがとても大事」

というようなことを言っていた。

 

たしかに、学校外で暴力を振るわれた際に、

110番通報をして助けを求めよ、というのなら分かる。

しかし、いじめは、学校内でも起きているのだ。

「学校内からでも躊躇なく110番通報しろ」というのは、

子供の立場に立ってみたときには、あまり現実的ではないようにも思う。

 

それに、なんでも困ったときは警察頼みの風潮にしてしまうようでは、

精神保健分野で起こっていることと同じように

現場職員(この場合は教員)から、危機管理能力を奪ってゆくだけである。

 

ちなみに、18歳までの子供の相談先として、「チャイルドライン」がある。

不登校やひきこもり、いじめなどに関する相談を、

匿名ですることができる。

 

チャイルドライン

電話番号 0120-99-7777(フリーダイヤル)

日時 毎週月曜~土曜 午後4時~午後9時

 

こういったホットラインの存在を、

各家庭でさりげなく子供に伝えておくのも

親としてできることの一つかもしれない。

 

さて、担任教師はいったい何を考えていたのか…

学校側の対応の真相はいかなるものなのか…

そういった疑問は多々ありつつも、

俺なりにこの問題を考えるとき、やはり言いたいのは

「あまりにも命を軽々しく扱っていたのではないか」

ということに尽きる。

 

これだけ、生徒からのSOSが発せられていたのだ。

いじめの真相を調べ、対応をとることも重要だが、

まずは、この生徒の「命」を守るためのアクションをとるべきだった。

 

精神保健分野の視点からみれば、

「生活記録ノート」に書かれた文章だけでも十分に、

「自傷他害行為の恐れあり」として精神科医療の対象になる。

 

精神科医療というと、どうしても人権の問題を持ち出されがちだが、

自傷他害行為を防止し、緊急対応として「命」を守ることができるのは

「こころ」を扱う専門である精神科医療でしかないと、俺は考えている。

 

病院という安全な場所で、子供の命を守り、こころのケアをする。

それこそが、大人たちが何を置いてもしなければならない、

最優先事項だったはずである。

 

この学校、教育現場に限ったことではない。

俺たちは一人きりでは生きていけず、

他者と関わりながら生きるしかない。

そうである以上、そこには必ず「命」が介在する。

その重みを忘れてはならないと、改めて思わされた。

 

亡くなった少年のご冥福をお祈りいたします。