刃傷沙汰になる前に!!

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(以下引用:産経新聞 2015年8月9日)

 

なんでご飯にふりかけかけるの!親子げんかの末に包丁で娘に軽傷負わす 容疑で母親を逮捕

 

ふりかけをめぐって親子げんかになった末、高校1年の長女(15)に包丁を向けてけがをさせたとして、大阪府警河内長野署は9日、殺人未遂容疑で、大阪府河内長野市千代田台町の無職女(35)を現行犯逮捕した。「包丁を構えただけで、殺すつもりはなかった」と容疑を否認している。

 

同署によると、女は食事中、「ご飯にふりかけをかけないでいいでしょ」などと長女を怒ったことで口論になり、台所から包丁を持ち出した。女は「親子げんかになっている」と自ら110番。駆けつけた署員が身柄を拘束したという。

 

逮捕容疑は9日午後3時50分ごろ、自宅で長女の右手に包丁で軽傷を負わせたとしている。

 

女は今年3~6月、長女や中学3年の長男に物を投げたり、髪の毛を引っ張ったりしており、同署が虐待の可能性があるとして、3回にわたって府富田林子ども家庭センター(児童相談所)に通告していた。

 

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この記事だけ読んだら一般の方々は、

「ふりかけくらいで包丁持ち出すなんて、とんでもない親だな~」

くらいにしか、思わないかもしれない。

 

しかし俺としては、最後の3行が、やはり疑問符がつくところだ。

警察は、この家庭に虐待の可能性があるとみて、

子ども家庭センター(児童相談所)に3回も通告していた。

 

通告を受けて子ども家庭センターも、

何かしらのアクションは、とっていたのかもしれない。

自宅訪問をしたけど、会えなかったとか、

一時保護の同意が親子から得られなかったとか、

そのような経緯があるのかもしれない。

 

しかし結局は、刃傷沙汰になり、軽傷とはいえ

子供が怪我をしてようやく、問題が明るみに出たと言える。

 

ここに至るまでに、親子の間で、言ってみれば、

命のすり減らし合いが、行われていたのである。

はずみで命を落とす可能性すら、あったかもしれない。

警察もそれを懸念していたからこそ、3回にも渡って通告をした。

 

児童虐待防止法、児童福祉法に則り、厚労省が作成した

「子供虐待対応の手引き(平成25年8月改訂版)」によれば

警察からの要保護児童の通告があった場合には、

児童相談所は、その受理を拒否することはできず、

一時保護が必要であると判断されるときには、

通告を受理した上で児童相談所に送致しなければならない、とある。

 

つまり、一時保護の実施権限は、児童相談所にあり、

警察は連携としての対応になるため、

通告を受けた児童相談所には、迅速な判断が求められる。

 

ところが実際には、事件が起きて、警察の主管事案となり、

母親が逮捕されることでようやく、親子の人権や命が守ってもらえる。

 

これが、成熟した社会における、法にかなったやり方なのだろうかと、

俺ははなはだ疑問なのだ。

 

この点は、俺がいつも扱っている問題の、

「保健所に何度も相談にいったけれど、解決に至らず

結局、家庭内で事件が起きてしまった」

というのと、まったく同じ構造だ。

 

重要なサインや家族からのSOSを、きちんとすくい取れない現状の仕組みは、

やはり欠陥があるといわざるを得ない。

 

「家族、親子」の間で起きている、密室化された問題に対して、

必要とあらば介入できる権限をもった、行政機関の専門家ほど、

なかなか踏み込みたがらず、家族の危機を救えていない。

 

しかし長い目でみたときには、思い切った介入こそが、

家族を助けることになると、俺は思っている。

 

今回のケースでも、何度も虐待を疑われるほど、

親子関係が破綻していたのだとしたら、

母親にも悩みがあり、苦しんでいた面もあっただろう。

 

適切な介入があることで、子供の健康や生命も守られ、

母親もまた、肩の荷が少しおりて、

親子関係を冷静に考えられるようになったかもしれない。

 

人権を守るということは、すなわち命を守ることでもある。

それは一人(一つの機関)ではできないことだからこそ、

関係各所が連携するための仕組みがある。

 

さまざまな機関同士、協力しあって、ひとの輪を作って

結果オーライにもっていくのが、専門家の役割なのだ。

 

とくに、保健所や児童相談所は、「人間の命」、「子供の命」を守るという

超!重要な使命を担っているのである。

 

もちろん、このような仕事に携わっている俺自身もそうだ。

そのことを忘れてはならないと、改めて思った。

 

表紙    押川チラシ