「子供を殺す」という解決方法があってはならない

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(以下引用:産経新聞 2015年8月21日)

 

「肉体的、精神的に限界迎えた」 精神疾患の41歳長女殺害、

81歳父に異例の猶予判決 傍聴席からもすすり泣く声

 

 「娘は助けを求めていた。救ってあげられなかったのが私の一番の罪です」。精神疾患の長女=当時(41)=の首を絞めて殺害したとして殺人罪に問 われた和歌山市の男性(81)の裁判員裁判で、和歌山地裁は7月、男性に懲役3年、執行猶予5年(求刑懲役6年)の判決を言い渡した。公判で明らかになったのは、精神疾患で苦しむ長女と、愛する長女の暴力に耐え続けた家族の姿。被告席の男性と証人出廷した妻は法廷で最後まで長女に謝り続け、傍聴席ではすすり泣く声も聞かれた。(兵頭茜)

 

「被告を強く非難することはできない」

 

 判決によると、男性は2月14日午後10時20分ごろ、自宅で同居する長女が病身の妻を布団越しにたたくのを見て殺害を決意。長女の背後から首に電気コードを巻き付けて殺害した。

 

 公判で、検察側は「被告人に同情の余地は一定程度あるが、被害者と距離を置くなど殺害以外にも方法があった」と指摘し、「強い殺意を持ち、犯行態様は軽くない」として懲役6年を求刑した。

 

  一方、弁護側は「長女は暴れて被告やその妻に暴力をふるっていた。精神的にも体力的にも限界に達していた」と主張。「重い精神障害のある娘の面倒を長年見るにあたり、肉体的にも精神的にも限界に達していた。犯行を後悔しており、高齢である」として執行猶予付きの判決を求めた。

 

 殺人罪については、法定刑の下限は5年。浅見健次郎裁判長は「約20年間もの長期間にわたり、被害者のために努力し、肉体的、精神的に限界を迎えた末に本件犯行に及んだ経緯からすると、被告を強く非難することはできない」とし、男性が反省していることや高齢であること、病身の妻がいることなども理由に、執行猶予判決とした。

 

 検察側は控訴せず、1審判決が確定した。

 

ストレスで髪がなくなった妻

 

 男性は妻と長女の3人暮らしだった。法廷での証言などによると、長女は20歳になったころからひきこもりがちになり、次第に両親に暴力をふるうようになった。その後、入退院を繰り返し精神疾患とされた。「きっかけはわからないが、豹変(ひょうへん)した」と妻は語る。

 

 長女は、深夜に男性にお菓子などを買いに行かせ、断ったり違う物を買ってきたりすると激高。男性はそんなとき、車や家の裏にある物置で寝ていたという。

 

  妻はストレスなどから、髪がほとんどなくなった。公判にはニット帽をかぶって出廷。被告人質問で、弁護人が妻の状況を裁判員に示すため、帽子を取るよう促したが…。「もういい。やめてくれ」。そのとき、被告席で男性が手を挙げ、涙を流しながら首を振った。妻は帽子を脱ごうとしたが、首を振り続ける男性を見て手を止めた。その姿に、法定内ではすすり泣く声が漏れた。

 

「お父ちゃん疲れた」

 

 暴力がひどく、男性は事件前にも長女の首を絞めたことが何度かあったが、涙が出て最後まで絞めることはできなかったという。

 

  事件の直前には、長女が一人暮らしを希望したため男性は家探しをしなければならなかった。長女は以前にも一人暮らしをしたことがあったが、長続きせず自宅に帰ってきたという。そんな経緯もあり、妻以外に弱音を吐かなかった男性も、このときは「お父ちゃん疲れた。もう限界や」と別居する長男に漏らしたという。「年を取っていつまで長女の世話をできるかわからなかった」。そんな思いもあった。

 

 犯行当日、長女は「家探しはどうなっているのか」と男性に詰め寄った。「もう探されへんで。お父ちゃん疲れたわ」。そう男性が答えると、長女は激高。疲れて寝室で横になっていた妻に対し、「お父ちゃんを追い出して」と布団の上からたたいたという。

 

 男性は「病気のお母ちゃんに何するんや。やめなさい」と止めようとしたが、長女は聞かなかった。そして午後10時20分ごろ、男性は背後から長女の首に電気コードを巻き付けて殺害した。

 

 静かになったことに気づいた妻が布団から出ると、ぐったりした長女と、呆然(ぼうぜん)と座り込む夫がいた。

 

法廷で長女に謝り続ける

 

 「殺害以外にも解決法はあった。刑事告訴などできなかったのか」。公判で検察側はこうも指摘したが、男性は「娘がかわいそうで、告訴なんてできなかった」とうつむいた。

 

 判決で浅見裁判長は「被害者は入院や投薬による改善が望めず、長期入院は実際には困難だった」とし、男性が告訴できなかったことや、長女を残して自宅を出れば長女が自殺する恐れがあったとして、男性の事情に一定の理解を示した。

 

 さらに男性が高齢であることを踏まえ、「体を押さえるなどの物理的な制止行為を継続することは容易ではなかった。被告に被害者の殺害を回避するためのなんらかの行為を期待することは、ほとんどできなかった」と情状理由を述べた。

 

 それでも夫婦は法廷で、長女に謝り続けた。小学校からいじめにあっていたという長女について、「毎日にこにこして学校へ行っていた。気づいてあげられなくて申し訳ない」と妻は涙を流した。

 

 2人は「目に見えない心の病気がそうさせている」と、長女をいたわった。「あんたは悪くないんやで」といつも声をかけていたという。

 

 「私のような人が出ないよう希望する。私のような人を助けたい」。最終陳述で男性はこう述べ、自宅を駆け込み寺として開放したいと訴えた。

 

http://www.sankei.com/smp/west/news/150821/wst1508210006-s.html

 

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昨年にも、東京都八王子市で、息子の家庭内暴力に悩んだ父親が、

自らの手で息子を刺し殺す事件があった。

こちらも執行猶予5年(懲役3年)という判決が出ている。

(そのときのブログはこちら

 

法治国家である以上、裁判所が出す判決というのは

その国の現状や今後のあり方を、如実にあらわすものだと思う。

 

その視点からこの量刑をみたときには、

「相応の理由があれば、家庭内暴力や精神障害のある子供を、

親が殺すこともやむを得ない」といっているように思える。

 

実はこれ以外にも、気になるニュースがあった。

 

一つは、寝たきりの母親を殺害した長女が、「うつ病で判断力が低下していた」

という理由で執行猶予判決を受けた、というもの。

(産経新聞 2015年7月2日)

http://www.sankei.com/west/news/150702/wst1507020048-n1.html

 

もう一つは、自宅で認知症の疑いのある父親の口や手足を縛り、

(父親は亡くなった状態で発見されるが、死因は不明)

暴行と逮捕罪に問われた妻と長男が、執行猶予判決を受けた、というもの。

(産経新聞 2015年7月17日)

http://www.sankei.com/west/news/150717/wst1507170019-n1.html

 

寝たきりや認知症の老親の介護を苦にした殺人に関しては、

「過去17年で少なくとも672件起きている」とのデータを発表している専門家もいる。

 

そして報道をみる限りではあるが、加害者家族の苦悩を慮り、

執行猶予つきの判決が出される流れになっているようだ。

 

いつも書いていることだが、自傷他害行為があるなど、

いわゆる対応困難な精神障害者を抱える家族の問題には、

保健所もなかなか介入しないし、受け入れ先の医療機関も少ない。

入院ができても、長期にわたって入院治療をしてもらえるわけではない。

 

平成26年改正の精神保健福祉法上では、保護者の責務がなくなったが、

子供が親を執拗に追いつめている以上、逃れる道はない。

 

介護の問題も同じで、経済的、あるいは本人が拒むという理由から、

公的サービスを受けることができていないケースもある。

とくに、暴言や暴力、虚言などのある認知症の場合、

どこに行っても受け入れを拒まれる、という話も聞く。

 

つまり、理論上の福祉制度はあっても、現実の受け入れ先がないのだ。

 

先述した執行猶予の判決は、この現実も踏まえているのだろう。

殺害という重大な罪を犯したにもかかわらず、

情状酌量の余地がある(刑罰を軽くする)とは、そういうことだ。

 

実際に家族も苦しんできた経緯があるからこそ、

司法の判断としては、これが限界なのかもしれないが、

やはり俺は、この流れを傍観していては、いけないと思う。

 

とくに家族間の殺人の場合は、

控訴することなく一審で確定判決に至ることが多いため、

量刑について深く議論される機会も、あまりない。

 

もちろん俺は、こういった問題を抱える家族がいかに苦しんで、

死ぬ思いで日々を過ごしているか、よく分かっている。

 

一様に親が悪いと批難したいわけでもないのだが、

やはり「子供を殺す」という解決方法を、許してはいけない。

 

今でさえ俺のような立場の人間に、「子供を殺してください」

「もう、死んでほしい」などと言ってくる親がいるくらいだ。

 

「家族間で相応の理由がある場合は、殺人を犯しても執行猶予がつく」

という判例が増えるようであれば、今後、類似の事件が多発するのではないか。

 

「これ以上、苦しむくらいなら、子供を殺してしまおう」

と、短絡的に考える家族が出てくるのではないか。

 

俺はそれを懸念しているのである。

 

司法の判断だけを見たときには、流れはそちらに傾きつつある。

 

しかし、加害者となった親は、判決で執行猶予がつき社会に戻れて、

当時の苦しみからは逃れられたとしても、幸せではないだろう。

我が子に手をかけた悔恨は、生涯ついてまわるのだ。

 

だからこそ、現行の制度の、どこを改善すべきなのか。

家族の問題に迅速に介入するために、今、何が必要か。

それを考えるのは、立法の範疇だろう。

 

政治家、議員の先生方にも、ぜひ拙著に目を通していただいて、

この問題について、考えてもらいたい。

 

俺のような学歴も肩書きもない人間の本なんて……

と思うかもしれないけど、経験だけはホンモノだからな。

 

だいたい、これだけ成熟した時代に、この法治国家で、

「家族の問題の最終的な解決方法は、子供を殺すしかない」

という考え方が許容されつつあることは(少なくも俺にはそう思える)、

恐ろしいことだし、それ以上に、情けないことだよ。

  表紙    押川チラシ