「脱施設化」欧米の現実

アメリカでは、今年上半期(6ヶ月)の間に、

精神疾患の疑いがあり、錯乱状態にあった者が、

警察官により射殺された数は、124人にのぼるという。

これは、警察官が射殺した全体人数の4分の1にあたる。

 

以下は6月30日のワシントンポストの記事だ。

http://www.washingtonpost.com/sf/investigative/2015/06/30/distraught-people-deadly-results/

 

ちなみに原文は英語で俺には読めないので、

うちのスタッフに訳してもらった。

 

訳文の一部を、以下に引用する。

 

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(以下引用:ワシントンポスト2015年6月30日)

 

アメリカでは、今年に入ってから2015年6月30日の時点において、米国全体で警察官が射殺した者のうち、「精神的な問題を抱えており、情緒危機(エモーショナルクライシス)に面している症状がみられた人物は、124人にのぼる。これは、上半期の6ヶ月で警察官が射殺した全体人数462人の、4分の1にあたる。

 

射殺された対象者の大多数は武装していたが、警察官が呼ばれたのは、彼らの犯罪行為が理由ではなく、対象者の親族・近隣住民・近しい人間が、精神的に弱っている彼らの奇異な行動を心配して警察官を呼んだ、と報告されている。射殺された人物のうち、自殺行為が明白だった人数は、50人以上にのぼるという。

 

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記事の中では、射殺に至ったいくつかの例が紹介されている。

 

ある男性は、長年、統合失調症とうつ病を患い、自殺願望を抱いていた。

ある日、銃を持ちながら義理娘の部屋に向かった。

 

保安官が現場に到着したとき、男性は近隣住民を人質にとっていた。

保安官は5発を発砲し、そのうち1発が頭に命中した。

のちに、男性が所持していた銃はスターターピストルで

本物の銃弾は入っていなかったことが判明した。

 

ほかにも、亡くなった被害者たちは、自殺願望や自傷行為があり、

何かしらの武器をもって武装しているケースが多いという。

ただしその武器は、おもちゃの銃やナイフなどであり、

拳銃よりも危険度が少なく、警察官にとって、

致命的な武器と言えるものではなかった。

 

この記事には、以下のようにも書いてある。

 

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(以下引用:ワシントンポスト2015年6月30日)

 

現職警察署長と警察署長経験者のインタビューの中で彼らは、警察官に対して精神障害者の対処法を学ばせる訓練を大規模なケースで行うと同時に、国内全体に精神保健事業を増やしていかない限り、警察官が精神疾患を抱える対象者を射殺してしまうケースは、減らないだろうと述べている。

 

彼らは、精神科医療サービスは近年予算をどんどん削減されているため(ここ数年で最大3割も予算がカットされた州もいくつかある)、隔離棟を作り、患者をそこに入院させるよう、地元の警察署は求められることが増えている、とも述べている。

 

オクラホマ州Sand Springの警察署長であるMike Carterは次の様に述べている。「予算を増やし精神病患者の治療にもっと費やす必要がある。これは私たち社会の義務だ。精神病患者の方々が悲劇的な状況で亡くなることを避けるために、私たちは彼らと協力し助かる道を探る必要がある」。

 

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『「子供を殺してください」という親たち』にも書いたが、

日本では現在、精神科病棟の削減が進められている。

これはもともと、欧米諸国で始まったものである。

 

以下、上海の精神医学教授Bin XIE教授の論文から引用する。

 

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1940年代終りから1950年代にかけて、財政的に余裕があった国では、多くの精神障害者を収容し介護を提供できる入院施設を擁する大型精神病院の建設が、急ピッチで進められた。

 

しかしながら、これらの精神病院での深刻な問題(病院のキャパシティを超える患者の収容、劣悪な医療ケア、患者の人権の重大な侵害、など)が、世間に露呈されていくに連れて、国民の関心が高まると共に批判の声は大きくなっていた。

1960年代に入ると欧州や米国ではこの問題に関する批判が「反精神医学」や「脱施設化」(もしくは「脱入院化」)の動きへと発展していった。

 

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結果として、ヨーロッパ数ヶ国や米国では、

精神科病院の数は減少されることになった。

その多くは公立病院であったため、

政府としては財政的負担を縮小する意味合いもあった。

 

たとえば米国では、脱精神科病院前は50万床あった病床が、

現在は7万床にまで減少しているという。

 

日本の精神科入院ベッド数は、2011年の時点で約35万床ある。

この病床数の多さと、平均在院日数が極めて長いことが、

世界保健機構(WHO)や国連から、長らく非難をあびてきた所以である。

 

そこで近年は日本でも、「早期治療・早期退院」のもと

「脱施設化」が推し進められている。

 

が、日本に先立ち、「脱施設化」を進めてきた欧米の実態はどうか。

 

Bin XIE教授は、以下のようにも述べている。

 

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脱施設化が進むにつれて、数々の予期しなかった問題が起こっていった。患者を精神科病院から「助け出した」あと、家族と地域住民は、患者が地域社会の中で生活する上で必要となる支援や管理をするのが難しいことが、分かってきたのである。

 

結果として、地域社会に放り出された患者は必要な支援が全く受けられず、多くの患者は路頭に迷うこととなってしまった。米国では2004年時点において、重篤な精神疾患を患う患者で定期的な治療を受けられている当事者は、全体の40%以下しかいない。更にはホームレスの25%は、未治療の重篤な精神疾患を患う患者となっている。

 

(中略)

 

イタリアでの30年間に渡る脱施設化の試みの再検討において、次のことが分かった。地域社会での患者の生活の質は、精神科病院へ入院していた時よりも、たいして良くなっていないということと、患者の看護などのケアが家族にのしかかり、家族が疲弊してしまうケースが実質的に増加したということだ。

 

同時に私立の精神科病院の病床数が急激に増加し、刑務所が「最大の精神科病院」となってしまうという現象が起こった。2004年時点で125万人の精神疾患を抱えた人々が米国の刑務所には収監されている。

 

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適切な治療を受けられないがゆえに、自傷他害という危険な状態に達したり、

自宅や地域社会に居場所がなく、ホームレス化したりしているのである。

 

日本でも、地域社会での受け入れ体制が整っているとは言いがたく、

欧米に追随して「脱施設化」を推し進めればいいというものではない。

 

現に、銃社会のアメリカでは、危機対応の迫られる場面で、

警察官による射殺という最悪の結果を招いている。

 

日本は、アメリカのような銃社会ではないものの、

対応の難しい患者に対する、主管行政(保健所など)や、

医療機関での受け入れのハードルは、高くなる一方である。

保健所の、「何かあったら110番通報を」というアドバイスは、

「事件が起きるのを待て」と言っているに等しく、まるで保安処分だ。

 

そもそも、欧米と日本(アジア)の文化や風土は大きく異なる。

欧米のやり方に、学ぶべきところは学び、

しかし同じ轍を踏むことがないよう、

我々なりの解決策を考えるべきである。

 

対象者と対話をして、丁寧に実態を調査し、

必要に応じて、関係機関につなげる。

俺がこれまでに提唱してきた「スペシャリスト集団」こそ、

今、世界が求めているスタイルではないだろうか。

 

それを成しえたときには、日本こそが先進国のモデルとなれるだろう。