気持ち!「人間臭い」俺の経歴

1968年 福岡県小倉(現北九州市)に生まれる

母子家庭に生まれ、母親の影響を強く受けて育つ。

母親の、「『本物』はいつの時代も生き続けて、人の心に残っていく。『偽物』はそのときだけのもので、心の中に残らん」という口癖のおかげで、人間観察が趣味になる。また、たいへんな読書家だった母親の影響で、テレビや漫画はほとんど見ず、早くから本に親しんでいた。

  

小学校にあがると、身体が小さかったためか、いじめの対象になる。担任教師の「押川君はたくさん本を読んでいてすごいよ」の一言で級友の態度が変わり、救われる。しかし、級友たちとはあまり話が合わず、話し相手はもっぱら担任教師しかいなかった。

小学校六年から剣道を習いはじめる。試合では常に先鋒を任される。

持ち前の好奇心旺盛な性格から、中学時代には毎朝、全てのクラスに顔を出して挨拶をして回る。そのおかげで、真面目な生徒とも不良とも、まんべんなく仲良くなった。

ある朝、いつものように挨拶回りをしていると、相手の男子生徒が突然キレて殴りかかってきた。虚をつかれてボコボコにされ、血まみれになりながら、世の中には突然何をするか分からない人もいるんだな、ということを学ぶ。

 

1984年 常磐高校入学

高校は私立の男子校に進学。ワルの密度の高い学校だったため、危機管理の重要性を感じ、必然的に危険予測・危機管理能力があがる。

放課後は近くの女子高に出向き、可愛い女の子に片っ端から声をかけることを日課とする。しかし学校を通じて苦情が来てしまい、担任にこっぴどく叱られる。

思春期らしく、うるさいことを言う周囲の大人に反発するようになり、剣道もやめてしまい、不良の道をひた走る。

喧嘩三昧の日々を過ごす一方で、柳田國男や宮本常一の著す民俗学に興味を持ち、彼らの著書を読破する。

学校の裏手に精神科病院があったため、授業をサボってしょっちゅう遊びに行く。鉄格子越しに入院患者と会話を交わし、ジュースなどを差し入れていた。患者からは、「坊主」と呼ばれて可愛がられる。

高校卒業後、「東京で『本物』を見ておいで」という母親の後押しもあり、上京。

予備校の寮に入るが、狂ったように勉強する予備校生の姿に疑問を抱く。プレッシャーからか本当に発狂した友人もいた。バランスの悪さを感じ、受験勉強の傍ら、夜の新宿を遊び歩く。

岸田秀の著書を読んだことをきっかけに、心理学の本を読みあさったのもこの頃。

 

1987年 専修大学入学

物理学者の故・唐木幸比古教授に師事する。唐木教授の「人・物・金のどれに近づきすぎてもいけない。その正三角形の真ん中に立つような生き方をしなさい」という教えに感銘を受ける。

時代はバブルの絶頂期だったため、学生も大人たちも、浮かれまくっていた。「こんな時代が長く続くわけがないのに、みんなアホや……」と思い、授業よりもアルバイトに精を出すようになる。

様々なアルバイトを経験したが、どんな仕事も面白かった。スーパーで売り子のアルバイトをやったときには、某有名ハム会社のウィンナーを、連日二時間足らずで売り尽くしてしまう。ハム会社の担当社員の間で噂になり、とうとう人事部長が「大学中退でいいからウチに来てくれ!」とスカウトに来るが、丁重にお断りする。「自分だけの仕事を探したい」という信念があったからだ。

その後、警備業のアルバイトに出会い、運命を感じる。「生命・身体・財産」を守るという警備業の基本理念が、唐木教授の言う「正三角形の真ん中に立つ」に重なることに気づいたのだ。自らの進むべき道を見いだし、大学を中退する。

 

1992年 トキワ警備を創業

23歳のとき、神奈川県川崎市で、個人事業主としてトキワ警備を創業。社員三名、小さなアパートの一室からの出発であった。

当時の神奈川県警察本部の防犯課長に熱意を認められ、公安委員会から認定証を交付される。個人事業主が認定証を交付されるのは過去に例がないと聞き、防犯課長の期待に応えるべく、業務に邁進する。

従業員をはじめ、土建業に携わる人たちは、「食」「眠」「性」の欲求に忠実な生き方をしていた。個性豊かでトラブルも多かったが、それこそが人間本来の姿であると感じる。このときの人間模様が、のちの仕事の礎となる。

交通誘導警備だけでなくSP業務も行うようになり、また、万引き防止協会の立ち上げにも携わるなど、精力的に働く。会社は、従業員150人を抱えるまでに成長。

しかしある時、目をかけていた従業員が精神疾患を発症。当時は精神保健に関する情報も少なく、なすすべもないまま状態がひどくなる。結局、従業員は両親に迎えに来てもらい、故郷に帰ることになった。のちに両親から「本人が入院を嫌がって暴れ、大人三人がかりで縛って連れて行った」という話を聞き、「俺が一緒に行けばよかった。そうしたらあいつも、暴れたりしなかっただろうに……」と深く心を痛める。

その体験を機に、精神障害者の移送に正面から取り組んでみようと、模索を始める。

 

1996年 説得による「精神障害者移送サービス」を創始

当時、精神障害者の移送といえば、患者を布団などでくるみ簀巻き状態で連れて行くという強制拘束が、当たり前のように行われていた。そんな風潮の中、“説得をして、医療につなげる”移送を試み、はじめは医療関係者や専門家から「無理だ」「無謀だ」と批判も受けた。

実際、移送の現場は壮絶だった。ゴミだけでなく排泄物までもが堆積する部屋。大声で叫び、凶器を振り回す患者。しかしそんな彼らにも、ふとしたときに垣間見える本当の感情があった。それは病気の苦しみであり、理解しあえない家族への悲しみや怒りであった。

1000人を越える患者を説得して医療につなげ、経験を積むほど、感性は研ぎ澄まされていった。

しだいに、入院のみならず、患者や家族の将来を見据えたプランを提供するなど、業務の幅も広がる。

患者さんの部屋に座って説得をする押川 自宅から逃げ出した患者さんを説得する押川

 

2001年 「子供部屋に入れない親たち」を上梓

2000年に入ると、一月には「新潟女児監禁事件」が発覚、続いて五月には「佐賀バスジャック事件」が起きる。医療につながらない患者と家族の問題がクローズアップされ、「精神障害者移送サービス」もにわかに注目を浴び、各方面から取材依頼が殺到する。

2001年には「子供部屋に入れない親たち-精神障害者移送の現場から-」を上梓。過去に携わってきた移送の中には、依頼者である家族の見栄に振り回されたり、嘘をつかれたりするケースも多々あった。そういった経験もふまえ、家族のあり方に疑問を投げかけた本書は、大きな反響を呼ぶ。

その後も、新潮45に『東大・慶大生の闇』や『引きこもりを装った強姦魔』を発表。行政や医療からも見放された家族の問題に踏み込む姿は、「説得のプロ」として一躍脚光を集め、次々にドキュメンタリー番組が放送される。

2002年に社名をトキワ精神保健事務所に変更。代表の座をゆずり、「押川剛」個人としての生き方を貫こうと決める。

 

 

2002年 北九州市内に若者の自立・更生支援施設「本気塾」を設立

数多くの移送に携わるうちに、医療につなげることはできたものの、家族との複雑な関係により退院後の行き先がない若者の、自立の手助けができないかと考えるようになる。

そこで、故郷北九州市に、自立・更生支援施設「本気塾」を設立する。

東京と北九州市を往復しながら、精神疾患だけでなく、薬物やギャンブル・ゲーム依存症の若者、詐欺や窃盗・傷害など犯罪を繰り返す若者と日常を共にし、自立へと導く。

高校や専門学校通学など教育支援も積極的に行い、自衛隊合格者や調理師免許取得者、看護学校入学、通信制高校卒業などの実績を残した塾生もいる。

道をあやまった若者が、本気でやり直そうとする姿、死に物狂いで努力する姿に感動し、なによりのモチベーションとなる。

 

 

2007年以降 メディア(テレビ)での活躍の場が広がる

2007年には、日本テレビ『NEWS ZERO』にて、ジャーナリストとして〝ハーレム男〟のその後を追跡した特集が放送される。

また、「本気塾」での若者の更生の実態に迫るドキュメンタリーも、多数、放送される。

教育の現場にも理解が深く、2009年には、北九州市内の公立中学への密着取材を企画・コーディネートする。『NEWS ZERO』『NEWS リアルタイム』にて「長期密着プロジェクト・ありのままの公立中学」として、一年にわたり放送される。

2013年には、複雑な家庭環境から非行に走り、学校からも見放された14歳の少女との数年に及ぶ関わりが『news every』で放送。

この間にも、問題を抱えた人たちからの相談の電話は、鳴り止むことがなかった。家族だけでなく、医療機関や行政機関、弁護士など専門家、専門機関からの相談も増える。

説得の対象者が殺人未遂の犯罪者というケースや、闘う相手が反社会的組織というケースが目立つようになり、まさに「命懸け」の現場だらけになる。

 

2013年 精神保健福祉法改正をふまえ、新たな世界へ

2013年6月に精神保健福祉法が改正され、2014年4月から施行された。

この法改正により、精神保健の分野は大きく変わると予測。精神疾患による問題を抱えた人たちが、法の隙間、専門機関(医療や行政など)の隙間、家族の隙間……いわゆる「グレーゾーン」に陥る可能性があると感じ、危機感を抱く。

困っている人が見放されることがないよう、徹底した「現場主義」のもと超難関に挑んでいこうと決意を新たにする。また、社会に対してもより一層、声を上げていこうと、ブログを立ち上げる。

 

 

2015 『「子供を殺してください」という親たち』を上梓、TBS水トク!「THE 説得」放送

精神保健福祉法の改正により、国(厚労省)は、「入院医療中心から地域生活中心へ」と舵を切った。しかし現実には、地域社会での受け皿は圧倒的に足りておらず、行き場をなくした対象者、そして家族からの、悲痛なまでの相談はあとをたたず、家族間の殺傷事件や隣人トラブルも相次いでいる。

この問題の実態をひろく社会に訴え、精神保健分野のシステムを変えるべく、2015年7月、『「子供を殺してください」という親たち』(新潮社)を上梓。

7月15日には、TBSテレビ「水トク!」にて、押川の活動に密着したドキュメンタリー「THE 説得」が放送される。精神科医療にかかる必要のある人が、しかるべきかたちで医療にかかれるよう、公的機関主体の有効なシステム(スペシャリスト集団)を作り上げるべきだと提言する。

 

2017 「子供の死を祈る親たち』を上梓

月間コミック@バンチにて『「子供を殺してください」という親たち』の漫画連載開始!
 

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