Virginia’s mental-health system is wasting away

先日の記事と日付が前後するが、

こちらは今年1月7日のワシントンポスト社説である。

 

(以下引用:The Post’s View社説2016年1月7日)

 

Virginia’s mental-health system is wasting away

(ヴァージニア州のメンタルヘルスシステムは死に向かっている)

 Deeds

※写真はヴァージニア州議会の上院議員であるR.Creigh Deeds (D-Bath)氏

 

先月、Terry McAuliffe(D)州知事は、ヴァージニア州の2年間の予算が1000億ドル(注:約12兆円/US$=\120で計算)と明らかにした際に、Roanoke近くに位置する古くからある州立の精神科、Catawba病院を閉鎖する計画を発表した。このニュースには、わずかな注目が集まった。110床ある病院を閉鎖するというこの案は、機能不全かつ財源不足であるヴァージニア州のメンタルヘルスシステムに、更に打撃を与えることになる。ヴァージニア州では過去40年にわたって約80%の精神科病院の病床が減らされたにも関わらず、更に減らそうというのだ。

病院の閉鎖により、精神科病院の病床を減らした後の仕事を引き継ぐ、堅固な地域密着型のプログラム(住宅、治療、カウンセリングなど)の不足が強調されることになる。ヴァージニア州や他の地域でも同じだが、脱施設化による最悪の負債の一つは、地域の刑務所が精神障害者を収容する倉庫のような場所となったことだ。精神障害者の数は受刑者の4分の1の割合にも上る(注:NYTimesの記事では14%となっていたが、州や連邦刑務所を除いた市や郡の地域刑務所に特化した数値のため更に割合が高くなっていると思われる)。

十分な資金があれば、多くの人は刑務所で生産的な生活を送ることに繋がるが、現在の地域刑務所は、精神障害者と対応するための設備が全く整っていない。

ヴァージニア州の刑務所では昨年、2人の受刑者が悲劇的な死を遂げた。その死により、病院閉鎖やメンタルヘルスサービスの不足という問題に対して世間の見方は厳しいものとなった。Fairfax群の刑務所でNatasha McKennaさんという、幼い娘を持つ37歳の精神疾患を抱えた女性が、刑務官からテーザー銃を何発も打たれ、ショックで亡くなったのだ。Hampton Roadsの刑務所では24歳のJamycheal Mitchellさんという、セブンイレブンで$5.05のスナックを万引きしたことで捕まえられた精神障害者の男性が、衰弱して刑務所内で亡くなりました(注:別の記事によるとMitchellは統合失調症で食事を一切拒否し続けた結果、20キロ近く体重が落ち衰弱死したとのこと)。裁判官が何度も、彼を近くの精神科病院に移送するよう言い渡していたにも関わらず、病院に空き床がないため入院できなかった。McKennaさんもMithcellさんも、必要であったのは収監ではなく助けだった。彼らのような人を助けるプログラムはどこにあったのか?

精神障害者を擁護する方々は、州議院に対して、精神障害者への支援計画に資金を増やすよう強く要望を出した。それらの支援の多くは、地域社会支援委員会によって運営されており、多くの精神障害者が、病院施設以外で日々の生活が送れるようになる仕組みだ。ヴァージニア州都Richmondでの決定は大抵不適切な内容だった。様々なことに数百万ドル(注:数億円)の予算というもので、混迷を深めるメンタルヘルスシステムを強化するには、足りない金額だった。

この不適切なシステムの綻びは、2013年に起こったAustin “Gus” Deedsさんという精神障害者の若い男性の悲惨な死によって露呈した。彼は父親である州議院のR. Creigh Deeds (D-Bath)氏を何度も刃物で刺して重傷を負わせた後、自殺した。この事件は役所の人間が、その当時いくつかの病床に空きがあったにも関わらず、息子であるDeedsさんの病床を見つけることに失敗した後(注:別記事では翌日)に起こった。

息子の攻撃から父親のDeeds氏は何とか生き延びたが、広範囲に刺し傷のあとが残った(注:上記写真でも傷跡が分かる)。Deeds氏は事件後、メンタルヘルスシステムの刷新を強く訴えており、彼が率いる立法委員会でも働きかけている。2015年11月、Deeds氏は息子の不法死亡に対する6百万ドル(約7億円)の賠償金を求め、州と地域のメンタルヘルス出先機関と、メンタルヘルス査定者に対して訴訟を起こした。これはヴァージニア州のメンタルヘルスシステムを変えようとしている人物が、同時に同州のシステムに対して罰を科しているという事だ。

この訴訟がどのような意味をなすかという答えは、裁判所が出すことになる。ただ手厳しい事をいうようだが、例え、長年の懸案となっている、空いている病床のオンライン登録(注:空床がオンライ上のデータベースで反映されて分かるようにする仕組み)などを含めたいくつかの地味な改正が行われたとしても、ヴァージニア州の現状は、精神障害者に適切で人道的なサービスを提供できるような状況からは程遠いということだ。

 

「障害を持っていても、地域社会で生活できるようにする」

という名目で始まったはずのノーマライゼーション・脱施設化だが、

現実的にアメリカでも、地域社会での受け入れ体制、支援体制は

圧倒的に足りておらず、予算や人員の増加もなされない。

その一方で、医療機関(ベッド数)は、どんどん削減される。

 

医療や支援のレールに乗れない対象者は放置され、

医療ではなく、司法での対応を余儀なくされている。

 

日本も、まったく同じ道を歩んでいる。(司法の場での対応については、また明日書く)

 

障がいを抱える方々の人権をどう守るか。

「本人の意思を尊重する」「自由を尊重する」という言葉はやさしいが、

裏返してみると、「本人が望んでいるのだから、いいんじゃないですか」

と、相手に関心をもたなくてよい理由にできてしまう。

そして、行き着くところは、排除である。

 

ひきこもりが良い例だ。多くの家族が、国や行政が推奨するように

「本人の意思を尊重して」子供のひきこもりを見守ってきたが、

長期・高齢化した今、未来のみえない事態を招いている。

 

だからといって、行政機関も医療機関も、助けてくれない。

「結局は、家族(親)の意思で、そのようにしたのでしょう」

と言われ、家族ごと、ばっさりと切り捨てられている。

 

究極の自己責任であるからこそ、法に触れるレベルにならないと、

行政(医療・司法含め)の介入は望めない。

 

海外の事例をみても分かることだが、

個々の人権を最大限に尊重し、自由を追い求めるようになるほど、

それぞれに合ったシステムが必要となり、物事は細かく枝葉に別れていく。

当然、法律も含め、仕組みやシステムは複雑になっていく。

 

これは、メンタルヘルスの世界に限ったことではないと思う。

 

どんどん複雑になる仕組みやシステムを理解し、

ブルドーザー並のパワーで、他者とコミュニケーションをとる。

そのような覚悟がないと、トラブルの解決はできないし、

それどころか、「平凡な暮らし」すら、手に入らない。

 

それこそが、真の自由ということか。

 

それでもアメリカの良いところは、上記の記事のように、

州議員が自身の体験を公にして訴訟を起こし、

社会に向けて、検証や改善を訴える点だ。

 

果たして日本はどうか?

 

真の問題解決のために、多方向から声があげられ、

本質に斬り込む深い議論ができるような国になるには、

まだまだ時間がかかりそうである。