地域移行の真実 相模原障害者施設殺傷事件7

 

地域移行・アウトリーチ

 

相模原障害者施設殺傷事件が起きてから、一ヶ月が経とうとしている。

 

この間、識者や専門家、精神保健に関連する団体などがさまざまな見解を述べているが、

多くは、「このような問題は司法(犯罪など)として捉え、

医療としての対応を求めるべきではない」というものであり、

「今後も、脱施設化・地域移行の歩みを止めてはならない」というものである。

 

まず、司法と医療のグレーゾーンについては、

「『子供を殺してください』という親たち」でも記述したように、

日本では長らく、踏み込んだ議論がされてこなかった。

 

今回の事件においても、多くの専門家や団体がまっ先に

「精神疾患=危険というイメージを拡散してはいけない」

「差別や偏見を助長するような報道をしてはいけない」

という声明を発表したこともあり、このグレーゾーンについてさえ、

メディアは、踏み込んだ報道ができない状況に追い込まれている。

 

もちろん、相模原障害者施設殺傷事件については、

全容も未だ明らかにはなっておらず、早急な結論づけは待たれるべきだと思う。

 

しかし俺からすると、一部とはいえ、

精神疾患に起因する暴力行為や迷惑行為はたしかに存在し、

それに苦しんでいる家族、近隣住民がいることは、事実である。

 

また近年、俺への相談では、長期にわたるひきこもりのケースにおいて、

家族への暴力や暴言がある一方で、社会性や健全さを失った生活の結果、

精神疾患が疑われる症状が出ている、という対象者の相談が増えている。

 

初動の危機介入については、保健所には危機介入のマニュアルがあり、

精神保健福祉法に基づく移送制度や、

ACTなど他職種チームによる「包括型地域生活支援プログラム」

といったものもあるのだが、

形骸化しているものもあり、助けてもらえる対象者(や家族)は少ない。

 

早期の危機介入が必要とされているケースほど、

行政機関や医療機関から関わりを拒まれているのである。

 

繰り返しになるが、これこそ最大の区別・差別ではないかと俺は思う。

  

優秀な患者しか乗れない「アウトリーチ」

 

そのような対応困難な患者を、仮に医療につなげることができたとしても、

次に待っているのは、早期退院というハードルである。

 

もちろん、制度上は、退院後に患者が地域移行・定着(地域で生活)できるよう、

自治体ごとにアウトリーチ事業が行われるようになっている。

 

このアウトリーチ事業により、自立のための相談支援、

介護・訓練等(就労継続支援…作業所への通所など)の福祉サービス、

グループホームへの入所などのサービスが受けられる。

 

しかし、いずれも、なによりも本人の意思を尊重することになっているため、

病識があり、自ら進んで通院・服薬ができ、自立の意思がある患者でないと、

生活面のサービスは受けにくい。

 

反対に、病識がなく、通院や服薬を拒んでいる患者については、

家族は医療につなげるだけでも大変なうえ、

その先の地域移行・アウトリーチ事業のサービスを受けるためには、さらに

本人が「そうしたい」と思えるように、説得しなければならない。

 

しかしながら、入院期間は三ヶ月(長くても六ヶ月)が基本とされており、

症状の重い患者に関しては、地域移行への説得どころか、

病識をもたせたり、服薬の習慣をつけたりすることさえ、難しいのが現実である。

 

家族と本人との関係が悪化していたり、

家族がそういった制度に無知だったりすれば、なおさらである。

 

かといって医療機関側も、今の精神保健医療のシステム上、

時間をかけて患者を見守り、地域移行への説得を行う余裕はない。

 

よって、そのような患者や家族に対しては、

帰住先を「家族と同居する自宅」とし、早期退院を勧める。

 

家族が本人の生活を支えることに限界を感じ、

医療機関にグループホームなどの利用を相談しても

「ご本人は、共同生活には向いてないと思いますよ」と言われ、

地域移行やアウトリーチ事業の制度があることすら、教えてもらえなかった、

という家族の話も、よく耳にする。

 

つまり地域移行というレールに乗れるのは、

・病識がある

・服薬や通院の意思がある

・自立の意思がある

・共同生活ができる

・暴力行為や迷惑行為がない

といった条件を満たすことのできる、「優秀な」患者、

俺の現場脳で言うと「ピラミッドの上位にいる偏差値の高い」患者のみだ。

 

それ以外の患者は、医療につながることだけでもハードルが高い上に、

その先の地域移行・地域定着支援を受けるための扉は、なかなか開かれない。

 

医療を含め、公的サービスを受けられる者と、受けられない者が二極化し、

その差は広がるばかりなのである。

 

「社会的入院」から「社会的制裁」へ

 

大きな問題は、このような患者の二極化が、

主管行政機関である保健所、医療機関、アウトリーチ事業に関わる専門家たちの

「選別」によって行われていることである。

 

これまでにも何度も述べてきたように、

対応の難しい患者については、家族が保健所等に相談に行っても、

「何かあったら110番通報を」と言われてしまう。

 

実際のところ、精神保健福祉法の改正後(平成27年3月)に発行された

「改正精神保健福祉法に取り組むための保健所ガイドライン」においては、

「第四章 住民等から保健所によくある質問」として、

Q&A方式の対応ガイドラインが示されており、以下のような文章がある。

※重要と思われる箇所に、赤線を引いた。

 

地域移行 図

これは、「幻覚や妄想などの精神症状が出現していない状態の暴力」と、

「精神疾患に起因する暴力」とは分けて考えるべき、という

表面上は人権に配慮したもっともらしい対応に聞こえるが、

真の問題解決を考えたときには、かなり曖昧であり、横暴でもある。

 

なぜかというと、これは俺の経験上だが、

近年は、強迫性障害やパニック障害、不安神経症、発達障害、

アルコール依存症などを放置した結果、

自傷他害行為を繰り返している患者が増えている。

 

彼らには、上記のガイドラインに記載されているような

「幻覚や妄想などの精神症状」は出現していないが、

いずれも医療につながり、ある程度の期間にわたって治療を受け、

第三者との関わりや社会性を身につける訓練を行うことで、

暴力性や自殺企図など自傷他害行為は軽減している。

 

なお、このような患者における特徴は、

本人だけでなく家族にも病識がない(精神疾患であると認識していない)

場合が多い、ということである。

だからこそ、第三者の専門家が介入し、医療の必要性を判断する必要がある。

 

ガイドラインにあるように、「幻覚や妄想などの精神症状」が出現していない暴力行為だからといって、

パーソナリティの問題として片付け、事件化し、司法に振るというのは、

それこそ、精神障害者に対する差別・人権侵害ではないか、とすら思う。

 

これだけ見ても明らかなように、

医療や福祉のサービスが受けられる「優秀」な患者とは、

言い替えればすなわち、専門家にとって「扱いやすい」患者である。

 

そこからこぼれ落ちた患者たちは、「社会的入院」や「長期入院」こそ免れるが、

未治療や治療中断による、被害者を出すほどの事件化、そして司法化という

「社会的制裁」を受けることになる。

 

そういう意味では、相模原の事件が起きたのは、必然の出来事でもある。

 

地域移行の責任を、我々一般市民がどう負うか

 

当然のことながら、地域移行・地域定着を含めた障害福祉サービスのために、

毎年、厚労省は予算を計上し、各施策に取り組んでいる。

 

平成28年度の障害保健福祉部の予算案の概要を見ると

障害福祉サービス関係費として、1兆1,560億円の予算が組まれている。

 

これら障害福祉サービス等の予算は毎年増えつづけ、

昨年(平成27年度)からは、+6.5%(710億円)、

この10年間では、2倍以上に増加している(平成19年度5380億円)。

 

この障害福祉サービスを受けられる障害児・障害者には、

身体、知的、精神の三障害が含まれるため、内訳はさらに細かくなるが、

主な事項としては、

・良質な障害福祉サービスの確保 9,701億円 (※自立支援給付)

・地域生活支援事業の着実な実施  464億円 (※地域生活支援事業)

などが挙げられる。

 

精神障害者に限らず、障害を持つ方々の生活が整うこと、

その支援のために予算が計上されることについては、

誰も異論がないところであるが、これほどの予算が組まれているとなると、

公的なサービスを提供する側、つまり、国や自治体からの補助(助成)が

おりているところには、既得権益も生まれやすい。

 

これほど患者が選別・区別され、サービスが平等に行き渡っていない現実は、

すでに地域移行が既得権益化していることを、示していないだろうか?

 

公的なサービスの不平等はゆるされるものではない。

その結果、支援を受けられない患者や家族がいるのならば、なおさらだ。

 

繰り返しになるが、対応困難な患者も含めた、危機介入と初動対応、

そして、高い対応能力を持った人的支援による、退院後の継続した人間関係の構築。

これを成しえない限り、真の「地域移行」とは言えない。

 

とはいえ、国が「地域移行」に大きく舵を切った以上、

我々一般市民も、いかにしてその現状に協力するかを考えねばならない。

サービスが適性になされているかどうかに監視の目を光らせるなど、

「地域移行」の運営に責任を持つ義務と権利が、我々にもある。

 

こうしている間にも、

福岡県須恵町で起きた子供四人殺害(母親は精神的に不安定だったとの報道がある)

千葉市と船橋市の連続殺傷事件(加害者は知的障害者向けの療育手帳を交付され、

最重度の判定を受けていたとの報道がある)

といった事件が起きている。

 

しつこいようだが、対岸の火事ではないのである。

 

現状では、危機介入が必要な精神障害者こそが、家庭や地域に放置されており、

【VS家族】【VS地域住民】という構図になりつつある。

 

危機介入が必要な精神障害者【VS家族】となっている家庭では、

すでに、親が子を殺すという解決方法が頻発しているのだ。

 

現場脳の俺は、暴力団が最終的に【VS市民】となった構図を思い出す。

たとえば俺の故郷北九州では、近年、市民による暴力団追放運動が盛んになった結果、

工藤会は弱体化し、壊滅方向へ向かっている。

もともとは、警察庁が主体となり、本気で暴力団壊滅の対策を行ったところ、

市民もそれに賛同し、一体となって取り組んだ成果だ。

 

俺は、「危機介入が必要な精神障害者=暴力団」と言いたいわけではない。

しかし現実には、主管行政である保健所が「事件化」を進めているのだ。

このままこの問題が放置され、未治療や治療中断により

危険な症状を呈している精神障害者が地域にあふれたときには、

おそらく【VS市民(当事者家庭・地域住民も含む)】の構図ができあがってしまうだろう。

 

いや、精神保健福祉法が改正され、2014年に施行された時点で、

すでにその構図は作りあげられたのだろうと、俺はみている。

だからこそ、俺は昨年「『子供を殺してくださいという』親たち」を上梓し、

実態を訴えたのだ。

 

いくら「差別をするな、偏見を持つな」と言われても、

危機介入の必要な患者に対応できる一般市民は、ほとんどいないはずだ。

 

結果として「隔離」を求める声が上がり、

排除・排斥の方向に進んでしまうのではないか。

適切な治療を受けながら地域生活を送っている多くの精神障害者たちが、

ひっくるめて偏見の目で見られるようになるのではないか。

俺は、そのことを何よりも懸念している。

 

だからこそ、俺は以前から、現場の危機介入と初動対応ができる

第三者によるスペシャリスト集団を作るべきだ、と訴えてきた。

 

そしてここに、いわば監督人の機能をもつ市民団体も附属させてはどうか。

危機介入や初動対応はもちろん、地域移行や地域定着支援、

アウトリーチ事業が適性に行われているかを監督する市民団体である。

 

なお、その市民団体は、支援からこぼれた当事者や家族の相談先でもある。

支援を提供する側(自治体や関連機関、医療機関、専門家など)への要望があるときや、

万が一、不当な扱いを受けたときに、それを告発できる場所にすればよい。

 

このようにスペシャリスト集団と市民団体が一体となった機関を各地域に作り、

医療従事者やアウトリーチ事業の専門家と活発に意見交換しながら、

患者や家族が必要な医療や支援を受けられるようサポートする。

 

現状では、支援を提供する側(自治体や関連機関、医療機関、専門家など)が

やりやすいよう、やりたいようにやっているだけであり、

肝心の地域住民の理解はまったく進んでいないのだ。

 

「共生」のために、地域住民の差別や偏見をなくしたいというならば、

厚労省は危機介入に対する対応を明示したうえで、

地域住民をも巻き込んだ改革を進めるべきだ。

 

少なくとも、共に暮らす地域住民(当事者家族も含む)が

意見を言える場所があって然るべきだし、それこそが、真の平等であり、

地域住民と障害者の「共生」につながるのではないか。

 

重度かつ慢性化した患者に対するケア

 

もう一つの大きな問題は、症状が「重度かつ慢性化」した患者への処遇についてである。

 

「重度かつ慢性化」した患者については、

「これからの精神保健医療福祉のあり方に関する検討会」において

以下のような暫定基準案が作成されている。

 

平成25年度より厚生労働科学研究として研究班が組織され、

「重度かつ慢性」暫定基準案が作成された。

これによると、「精神症状が一定以上の重症度を示し、それに加えて

①行動障害、②生活障害のいずれか(もしくは両方)が存在する場合に、

治療上の配慮が必要と判定する」とされている。

 

以上に明記されているように、その症状や障害により、

どうしても地域生活を行うことが難しい患者もいる。

 

今は、早期退院や地域移行が華々しく推し進められるあまりに、

長期入院は、まるで悪の権化のように扱われている。

治療の難しい患者に対して、時間をかけて取り組んできた医療機関は、

それこそ「臭い物に蓋」とばかりに、評価されることもない。

 

しかしそもそも、社会復帰ができる患者を、

行き先がないからといって長期入院させておく「社会的入院」と、

症状が重度かつ慢性化した難治性の患者、対応困難な患者に対して、

ある程度の期間をかけて治療を行う「長期入院」では、意味合いが違う。

 

今は、入院中の精神障害者も、高齢化により認知症を併発する例も多いと聞く。

一般的な介護支援に関しても慢性的な人手不足に陥っている日本の現状で、

どこまで地域移行に結びつけられるか、甚だ疑問である。

 

また、2025年以降は、四人に一人が75歳以上という超高齢化社会が到来し、

社会保障財政のバランスが崩れる(2025年問題)とも言われている。

 

地域移行を、精神科病院の病床数削減ありきでスタートし、

結果的にホームレスや囚人を増やし、

刑務所の精神病院化を行ってしまったアメリカの轍を踏まないためにも、

長期入院の体制がとれる医療機関、力量のある専門スタッフについては、

その存在をやみくもに否定してはいけない。

むしろそう遠くない未来、再評価される時がくるはずだと俺は思っている。

 

このような医療機関が力量を発揮できるよう、

必要な医療行為を見極め、適切な予算が落とされることを望む。

 

また、精神障害者の危機介入の問題に関しては、

110番通報により、警察当局へ丸投げしているのが現状である。

警察庁への明確な役割分担や、それに伴う新たな予算計上も急がれる。

 

近年における精神疾患を起因とする殺傷事件の頻発を招いた要因の一つとして、

俺はやはり、我々が長く続けてきた、障害者への潜在的な差別意識、

表面的な対応、無関心、無知といったものが、大きく関与していると思う。

 

当事者意識をもっての一般国民、市民中心の大論議が今こそ必要なのだ。

 

表紙

(10刷 6万6千部)