変革

このたびの熊本・大分地方の地震で被災された方々に

謹んでお悔みとお見舞いを申し上げます。

 

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18歳で北九州から東京に出てきて、

何に驚いたかといえば、地震の多さにとても驚いた。

それくらい、九州(とくに北九州)は地震の少ない地域だった。

 

熊本や大分に住む方々も、噴火や水害への覚悟はあっても

大地震に関しては「まさか起こるまい」という気持ちだったと思う。

でも、起こるのだ。

 

今回は、自分の生まれ故郷に近い場所で起きたこともあり、

改めて今後の生き方を考えさせられた。

 

首都圏直下型や南海トラフの巨大地震も、いずれ必ず来るのだろう。

どこにいても、安全な場所などない。

 

何百年に一度の周期が、今、来ているのだと言われればそうなのだが、

これは、地震に限ったことではないと思う。

いろんな意味で、今、日本は変革の時期を迎えている。

 

たとえば日本の経済状況を鑑みても、

昔のような(俺たちの親世代のような)安泰が望めないことは明らかだ。

俺が知っている頭の良い人たちは皆、

「日本経済は東京オリンピックまで持つか持たないか」だと言う。

 

他方、人工知能はものすごい早さで進化し、何年かのうちには、

俺たちの仕事の大部分は必要がなくなる、なんて話も聞く。

 

でも俺の周りの同世代の奴らを見ていると、未だバブル気分を引きずって、

自分だけは大丈夫! というノリで生きている奴が、本当に多い。

50歳近くなっても、頭の中は若いおネエちゃんのことや、

どうやって自分の金銭欲や物欲を満たすかしか考えていなくて、

俺からすると、チンコが服を着て歩いているようにしか見えない。

でも、そういう奴に限って、けっこうな企業のえらい地位にいるんだよな。

 

「家族」を見ていても、そう思う。

最近は、「金」にまつわる家族の問題ばっかりだ。

 

親子関係を表すのも「金」、諸々の判断基準も「金」。

親に経済的な余裕があるかどうかは関係なく、

親も子も、ありったけの物を手に入れようとし、

結果、子供の欲求値はパンパンにふくれあがっている。

 

いよいよ日本の経済がダメになったとき、

あるいは大きな災害が起きたとき、

ふくれあがった欲求値は破裂するしかないわけだが、

そのとき、いったい何が起こるのか。

 

ブログを休んでいた間にも、家族間の殺人が続発していた。

家族に限らず、本当に簡単に人を殺すなあと思う。

安泰もなければ、安心も安全もないのが、現実である。

 

人間はいずれ必ず死ぬ。

最大限のことをやって、それでもダメなら諦めもつくが、

「来る」と分かっているものに対して、無策のまま死ぬのだけは嫌だ。

 

それに俺としては、いざってときに何が嫌って、

「言いたいことを言えなかった!」と後悔することだ。

だから、これからはブログでも、これから出す予定の著書でも

もっと本当のことを思い切り言って(書いて)いこうと思う。

 

今、目の前の仕事を頑張る一方で、

いつでも今の立ち位置を捨てられる覚悟を持つ。

そして、生活はよりシンプルにコンパクトに、身軽に生きる。

 

日本が変革期を迎えているのなら、俺もしっかり変革してやる!