消費し、消費される人生

ここ何ヶ月か、ある件を取材で調べているのだが、

それを通じて、俺なりに思ったことがある。

 

それは、これだけ世の中が不況になると、

生まれたときから死ぬまで、「自分自身の人生」すら消費・搾取の対象と見なされようになる、

ということだ。

 

たとえば幼少期からすでに、幼児教育だなんだとお金をかけさせる商売がある。

ビックリすることに、0歳児を対象としたプログラムなんていうものもあるらしい。

さらに年齢があがると、学校以外の時間は、お稽古だ塾だと、お金を払って消化される。

 

成人したらしたで、最近は「婚活」を初めとする「〇〇活」が大流行だ。

「友活」「恋活」なんていうものまであるらしい。

そして高齢者向けには、「終活」なるものが盛んに宣伝されている。

 

もちろん大半は、個人が集まってお金をかけずにサークル的なノリでやっていたり、

公的機関が主催してやっている活動だったりするのだが、

中には完全に「商売」目的で便乗している業者もいる。

さらにその中には、どうやら悪徳な、詐欺まがいのものも、出没しはじめているのだ。

 

そもそも何かのブーム自体、誰かが明確な意図をもって仕掛けていることが多い。

(もちろん、自然発生的なものがないとは言わないが)

 

そして実際にブームになり、人が集まれば、「金」が集まるチャンスも増える。

そうなったときには、パクリや、やらせ(さくら)も横行し、

ワケの分からん怪しい輩が便乗するようになるのは、当然とも言える。

 

そうはいっても、ひと昔前は、そういう怪しい商売にひっかかってしまうのは、

たとえば身内の不幸が続いたり、重い病気を患っていたり……など、

何かしら心に不安を抱えているひとが、対象だった。

 

しかし今や、勉強する、友達をつくる、恋人をつくる、結婚する、子供を育てる、そして死ぬ。

生きるという活動の中で行われる行為がすべて、商売の対象になってしまった。

 

特別な理由がなくとも、ただ「人生をもう少しだけ豊かにしたい」と思っただけで

悪徳な詐欺まがいの商売にはまり、絡め取られる可能性もある、ということだ。

 

それらは、完全な商売ほど、耳障りがよくて、体裁が整っている。

一見すると完璧なパッケージにのせて、対象者を囲い込むのだ。

さらに言えば、表面的には一個人がやっているように見えても、

大元をたどっていくと、何らかの怪しい団体にたどり着くことが、とても多い。

 

難しいのは、そういう輩ほど、法の目をかいくぐり、商売として成り立たせている。

最近は、それらの商売に加担する弁護士や、税理士、司法書士も増えているという。

(資格商売が食えない時代になった以上、そういう人間が出ることも必然である)

 

よほど明確に法を犯しているならともかく、

傍から見れば大金を搾取されただけにしか見えなくても、

本人が「楽しかった」「幸せだった」と言うなら、他人の出る幕はない。

 

しかし、ほんの少しの楽しみのつもりが、いつの間にか全財産をつぎ込む羽目になったり、

何もかも搾取された結果、家族や友達からも見放されるような憂き目にあったり、

そんな悲惨な話も、ちらほら耳にするようになった。

 

理想を言えば、家族と密接に連絡をとりあっていたり、

たった一人でも信頼できる友人、なんでも相談できるような相手がいれば、

こんな被害には遭わないと思うんだけどね。

 

今は、それすら「理想」と言わざるを得ない、難しい時代になってしまった。

 

だからこそ俺は、たとえ一人ぼっちでも、誰にも削られない、損なわれない強い意志を、

持つべきじゃあないかと思っている。

そしてそこにこそ、本当の価値があると、感じている。

 

一人でも強く生きていくためには、

それこそ、世の中の現実(仕組み)を正しく理解する必要があるし、

そのうえで個人個人が考え、取捨選択するしかない。

 

少なくとも俺は、無駄に消費し、消費されるだけの生き方はしたくない。

だからこれからも現場に足を運んで現実を見極め、

それを若い世代に伝えていきたいと、強く思っているのだ。