東大話法

この間俺は、某一流企業の会議に参加した。

 

俺の手がけているあるモノ(ここでは大局的に商品と言っておく)に関する会議で、

えらい肩書きのついた奴らが10人くらい集まっていた。

なんでそんなえらい奴らが集まっていたかと言うと、

その商品に関する、危機管理・コンプライアンスについての会議だったんだな。

 

そのメンツの中に、今では「○○センター長」という肩書きのついた、Pさん(仮名)がいた。

Pさんは、数年前に出会った頃は、すごく気さくな人だった。

何者かもわからない俺の商品価値を分かってくれて、世に送り出そうと尽力してくれたし、

気軽にカラオケに誘ってくれたこともある。

 

イケメンとかキザっぽい社員が多い中で、Pさんは風貌も断トツでダサくて、喋りも下手っていうか、

人の目を見て話せないような、ちょっと気弱な面があった。

でもそういうところが、むしろ人間臭くて、「イケてる(中身のある)いい人だな!」と、俺は思っていた。

 

そのPさんが。

会議も終盤ってところで、「こんなモノは絶対に売り出せない!」

「売るんであれば、危ない要素がなくなった、10年、20年後だ!」と言い出した。

俺はびっくりして、ひっくり返りそうになった。

 

商品自体がダメダメなモノだって言うなら、俺だって無茶は言わない。

だけど、会議に参加していたPさん以外の人はみんな、

「これは価値がある」「なんとかして世に出すべきだ」って言ってくれていたんだよ。

だからこそ、危機管理・コンプライアンス面の問題点を乗り切って、

商品を売り出そうという会議のはずだったのに、Pさんはまっこうから全否定したのだ!

 

今までの白熱した会議はなんだったんだろう?

俺は白けてしまって、「分かりました。よそに持っていきます」と言った。

 

まわりのえらい奴らは、「それは困る」ってあたふたしはじめた。

Pさんは無言。俺の顔を見ようともしない。

その後も会議は続いたけど、Pさんは黙ったままだし、

「とりあえず継続して考えていきましょう」っていうことで、その日は終わった。

 

会議室を出て、俺はPさんのことを思った。

「Pさん、どうしてしまったんだろう。なんか出ている“気”も悪かったな~」

なんて考えるうちに、Pさんが心配にすらなってきた。

 

ちょっとダサくて、でも人間味のあったPさんなのに、

「○○センター長」という役職に抜擢されてから、あんなふうに変わってしまった。

Pさんの肩書きにある「○○センター長」の役割は、

不祥事の予防や事後処理を専門に行う、いわば「コンプライアンスのスペシャリスト」的存在だ。

地味な仕事だけど、いつしかPさんはその分野で頭角をあらわし、自身の社内での役割と地位を確立したのだ。

 

一流企業に入れるくらいだから、Pさんも当然、高学歴の持ち主である。

部外者の俺にはそんな顔は見せなかったけど、

実際には「高学歴→一流企業」のコースをたどった人特有のしたたかさも、持ち合わせていたらしい。

まあ、それくらいのことは、一流企業にいれば、誰にでもあることだ。

 

だけど「○○センター長」という上のポジションに着いたとたん、

かつてあったPさんの人間味は消え失せ、

会議での発言のような「全否定」の人になってしまったのだ。

 

俺からすると、それはふだん俺が相談を受けている無責任な親たち、家族たちと同じ姿勢だ。

俺は超真剣に今後のプロセスを考え、判断やアドバイスをしているっていうのに、

俺が言うこと、やることに対して、とにかく「全否定」なんだよ。

そういう連中はだいたい、会社での地位が高かったり、一般人が羨むほどの資産をもっていたりする。

要するに、俺みたいな低学歴の何者かわからんような奴の存在を、認めたくないし、「信じられない」んだろうな。

 

だったら、「お前みたいなのに頼むか!」って言って、ばっさり切ってくれてかまわないんだけど、それはしないんだよ。

俺が「よそに相談に行ってください」と言うと、Pさんじゃないけど、黙る。

 

俺はいろいろ思ううちに、がぜん、Pさんに対しての興味が湧いてきた。

Pさんみたいな人って、何を考えているんだろう? 何が根底にあるんだろう?

それを整理して、理解を深めることができれば、

俺のところに相談に来る家族に対しても、一層、話ができるしな。

 

そんなことを考えながら本屋に行ったら、

『「学歴エリート」は暴走する 「東大話法」が蝕む日本人の魂』 (安冨歩著 講談社+α新書)

「学歴エリート」は暴走する 「東大話法」が蝕む日本人の魂 (講談社プラスアルファ新書)

という、まさにドンピシャな本を見つけたので、さっそく読んでみた。

 

著者自身が高学歴で、同時に著者自身のことも赤裸々に告白しているので、

非常に分かりやすく説得力がある良書であった。

 

とくに終盤のほうは、【懐疑主義】について、著者が論じている。

著者の見識ではそれは一般社会でも同じで、【疑り深い人ほど「インテリ」で、信じやすい人は「楽観主義」「浅はか」って言われる風潮】に、疑問を投げかけている。

この解決策として著者は【「信じる」という姿勢で生きるしかない】と言っている。

 

俺の琴線に触れた一文はこれだ。

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「「あやしいと思う立場から考える」というスタイルでは新しい知識を獲得することができず、どこへも動くことができず、真理を求める他人を嘲る姿勢にしか結びつかない、ということなのです。」(以上、引用)

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納得である。

これこそまさに、問題を抱えた家族(親)にも当てはまることだ。

我が子に対してすら、こういう立場から見ているんだからな。

 

著者は、立場主義でものを言うことを断罪し、それを「東大話法」と名づけていた。

Pさんも、立場や肩書きが上がったことで、「東大話法」をしていただけなのかもしれないな。

仕事のことはともかく、Pさんのあったかみのある人間性までは変わっていないと、

俺は「信じる」……というよりも、「信じたい」。

 

そんなわけで、会議でのPさん発言にはひっくり返ったが、

とてもよい勉強の機会になった。

ありがたいことである。