あっ、俺も声をあげときます。

精神医療で治安維持「筋違い」 精神保健福祉法改正案に反対集会

津久井やまゆり園(相模原市緑区)の殺傷事件を受け、政府が今国会に提出した「精神保健福祉法改正案」を巡り、同法案に反対する大学教授や支援団体が24日、参院議員会館で集会を開いた。精神医療を治安維持の道具に使うのは筋違いと指摘、「精神障害がある人々に対する政府のヘイトクライム(憎悪犯罪)だ」などと訴えた。

改正案は、措置入院患者の退院後支援計画を作成するなど、自治体や警察などによる継続的な関与を定めている。現在は参院で審議中で、集会は「可決されてしまう前に声を上げなければ」と企画、障害者や支援者ら約80人が参加した。

登壇した池原毅和弁護士は「警察の介入は、福祉ではなく治安維持。監視が強化され、当事者の人権を踏みにじることにつながる」と批判。

杏林大学の長谷川利夫教授は「措置入院と事件との関係が分からないうちから、再発防止策として精神障害者施策の検証にあたったことが不適切。改正法の成立自体が差別そのものだ」と訴えた。

主催した「病棟転換型居住系施設について考える会」は、20日付で反対声明を公表している。

引用:カナロコ by 神奈川新聞2017/3/25

 

どんな事柄に関しても、いろんな見方、意見があるのは当然だ。

しかしメンタルヘルスのこととなると、あまりにもいろんな人が、いろんなことを言える状況がある。なんたって俺みたいな人間が参入できちゃって、メディアが話を聞きに来たり、賢人が集まる会議に呼ばれたりするんだからな。

でもそれは、別に俺がすごいというわけではなくて、ようは【メンタルヘルス界に専門家は腐るほどいるけど、「私が責任をもって、問題解決しましょう」という専門家がいない】。ただそれだけのことなんだな。

そうじゃなきゃ俺の話なんか、誰も聞こうとしないよ。俺が知っているのは、【現場での危機的状況時における現実的・問題解決】だけなんだから。

 

そういう俺からみるとだな。

「措置入院患者の退院後支援計画」が、当事者の方々によって、=「治安維持だ!」「ヘイトクライムだ!」と言われてしまうことが、すごく不思議なんだな。

相模原市障害者施設殺傷事件の植松被告が、措置入院によって精神科医療につながっていたことは事実だ。専門家の中には、この措置入院の是非について疑問を投げかけている人もいるが、植松被告に対しては、緊急措置診察と入院後の措置診察を通じて、計三名の精神科医が診察をし、診断名は違えど、精神科病院での入院治療が必要である、と判断をしたのだ。

さらに、植松被告が大麻を使用していたことも、紛れもない事実だ。この薬物乱用(薬物依存症)に関しては、薬物を研究している精神科医の権威が、違法行為ではあるけれどもれっきとした精神疾患であり、精神科での治療が必要なのだと繰り返し訴えている。

なお、精神保健福祉法の定義(第5条)でも以下のように定められている。

(定義)

第五条  この法律で「精神障害者」とは、統合失調症、精神作用物質による急性中毒又はその依存症、知的障害、精神病質その他の精神疾患を有する者をいう。

 

植松被告は、通院が途絶えてから事件を起こしていることからみても、精神科医療を必要とする人(=精神障害者)であったことは事実で、言葉を変えれば、精神科医療で救える可能性があった人物だ。

精神保健福祉法改正案の是非を考えるとき、改正案は、再発防止を目的とした内容になっているだけでなく、「精神障害者の人権を尊重するほか、精神障害者の退院による地域における生活への移行が促進されるよう十分配慮しなければならない」とされている。

よって、「精神障害者」である当事者の方々や障害者支援団体も、当事者であればこその視点で「どうすれば、あのような事件を起こさずに継続して医療につながることができるのか」を訴えてもよいのではないか。

とくに精神科病院に入院した経験のある方であれば、措置入院になり、保護室からなかなか出られない他患を実際に見たこともあるだろうから、措置入院に該当する人の重篤さがわかると思われる。

俺の携わっている患者さん(ある程度の入院期間を経て、ようやく病識をもてるようになった)に聞くと、最近は、「(そのような重篤な症状にある措置入院の患者さんが)自分よりも早く退院していった」と言う。「ぜんぜん落ち着いているふうに見えませんでしたけど、大丈夫なんですかね?」なんて言ったりもする。

このように、自身が快復した当事者だからこそ、他患の病状快復のために言えることもあるはずだ。

本来なら、当事者や支援団体の方々から、「なぜ彼を、精神科医療で救ってやれなかったのか?」「措置入院という形で精神科医療につながったのに、継続して見守ることができなかったのはなぜか?」という意見が出てもおかしくない。それなのに現実には、「措置入院患者の退院後支援計画」に対する反対の声ばかりが取りあげられる。

 

淡路5人殺害事件のときも、同様のことを思った。

平野被告は事件前より精神疾患の診断名がつき、精神科医療にかかっていたのだから、それを継続できれば、事件に至らなかった可能性が高い。そうすれば、五人もの罪のない命が奪われることもなく、被告が「殺人犯」として死刑判決を受けることもなかった。

当事者の方々こそ、「行政や医療機関は何をやっていたのだ!」「危機的状況にある患者を、医療につなげる仕組みがないのはなぜだ!」と怒ってよさそうなものなのに、そういう声はあまり聞かれないし、あっても取りあげられない。

俺には、当事者の方々もまた、平野被告や植松被告のように事件を起こした人物に関しては、「自分たちとは関係がない」とばかりに切り捨てているようにみえる。当事者同士で区別差別をしているようにさえ、思えてしまうのだ。

しかも記事には、「警察の介入は、福祉ではなく治安維持。監視が強化され、当事者の人権を踏みにじることにつながる」いう弁護士の弁が掲載されている。だけどね、「何かあったら110番通報してください」と言って、率先して警察に振っているのは、当該行政機関である保健所なんだよ。

だから俺には、この弁護士先生がどこに向かって何の文句を言っているのか、よくわかんねーんだな(反対することによって、どこそこからお金でももらえるのかしら)。

警察との連携や情報提供は不当だというならば、保健所から警察に振られている現状はいったい何なのか。そして、警察との連携を抜きにして、この問題にどう向き合えば良いのか。代替案を示してから批判をすべきではなかろうか。

さらには、病識がないために、適切に医療につながれていない人を「本人の意思」という名目のもとに放置するのが、本当に人権に配慮することになるのか。その制度の不備等をついて、戦後最大数の犠牲者を出す事件が起きてしまったのだ。そこんところをどう思っているのか、当事者の方にこそ意見を聞いてみたい。

 

これだけみても、メンタルヘルス界がいかに混沌として、「わやくちゃ」になっちゃってるか、分かると思う。

そういえば、この間、事務所のスタッフが「トキワレポート」でも記事を書いていたけど、津久井やまゆり園の建て替えに関しても、揉め事が起きている。

参考:障害者家族の苦境訴え 「やまゆり園」再建で説明会

県が大規模収容施設の立て替えを表明したところ、障害者団体などから「地域生活への移行に逆行する」と異論が相次ぎ、基本構想を事実上撤回したのだ。一方で、入所者の家族会会長は、「地域への移行ができないから園で暮らしている。現実を考えたら一日も早い建て替えを」とコメントをしている。

俺の現場言葉でいえば、「わやくちゃぶりが高じて、いよいよ内部分裂が始まったな」という感じだ。

 

何度も言うが、地域移行の理念自体はすばらしいものだ。だが現実には、今でさえ予算も人員も足りず、真に医療や支援が必要な方々(病識がなく医療につながっていない患者や、複雑対応困難な患者)こそが、家庭や地域に放置されている。

国の経済状況をみれば、今後、予算が絞られていくことは間違いないし、なおかつこれだけいろんな意見、権利の主張が飛び交う中で、「具体的に何ができるのか」そして「何をすべきなのか」?

ここまできたらもはや、「どうやって命を守るか」という基準で考えるしかない。あれもこれもと理想を追い求め、綺麗事を並べるばかりでは、アメリカの脱施設化と同じ道を辿ることになる。

(アメリカでは、病識がなく医療につながっていない精神障害者の方々が、行き場をなくしてホームレスになったり、事件に巻き込まれて「被害者」になったりしている。事件や迷惑行為を起こして刑事施設に収容されたり、警察官に射殺されたりしている精神障害者も相当数いる)

「尊い命を絶対に守る」というシンプルな視点に立つことこそ、「わやくちゃ」な状態を抜け出せる唯一の方法じゃないだろうか。

神奈川新聞も「命を絶対に守る」というタイトルで記事でも書けないもんなのかね。『精神医療で治安維持「筋違い」』なんて、俺の著書よりもタイトルが過激すぎやしないか。

 

「尊い命を絶対に守る!」というスローガンのもとであれば、国民もオールジャパンで、もっと関心を持ってもらえるんじゃねーかと思うんだけどな。