プロとしての仕事

報酬を頂ける仕事ならば、それは一応プロと呼ばれるのだが、

果たして本当のプロフェッショナルとは、なんだろうか。

 

プロの仕事をしようと思ったときには、何かを犠牲にしなければならない。

たとえば究極のストイックさを求められたり、

地べたを這いずり回るような辛い思いをしたり、

何かを手放したり失ったりすることは、プロであれば当然のことなのだ。

古い考えなのかもしれないが、俺はそう思っている。

 

俺は時々だがテレビや本の仕事もしているので、

マスコミ関係者の知り合いもけっこういるのだが、

ときどき、なんだコイツ? と思うような奴がいる。

 

報道という仕事に携わり、記者という役割を担いながら、遊びほうけているのだ。

それも、ブランド品を買いあさるとか、旨いものを食べるとか、

異性と遊びまくるとか……欲求に直結した遊びばかりしている。

 

マスコミ関係者、とくに記者の仕事は、

この国や他人様に対して、もの申すことである。

 

そうである以上、夜討ち朝駆けはもちろん、

それこそ地べたを這いつくばって取材を重ねなければならない。

その仕事のどこに、遊びほうける時間があるというのだろう。

 

ふだんは遊びまくって、片手間に記者の仕事をしているような奴は、

のぞき見的に一般人では見られないものを見たり、

普通は会えないようなひとに会ったりすることを楽しんでいるだけの、

ようするに偽物の記者だ。

 

俺はそういうマスコミ関係者を見ると、余計なこととは知りつつ

「お前、本当に記者か? 何やってんだ!」と言ってしまうのだが、

そういう奴はもちろん、俺の言うことなんて右から左である。

昨日のブログでも書いたが、こういう奴ほど、

自分にとって心地いい言葉しか、受け入れないからな。

人間としてもアマチュア、偽物だなあと思ってしまう。

 

俺の知っている本物のプロの記者は、

不正や犯罪を暴き、真実を追究するために、地べたを這いつくばって取材をし、

相手が嫌がるような辛辣なことでも、面と向かって直球で聞いている。

一人の人間としても、強い正義感と、優しいこころを兼ね備えている。

プロの仕事人であるだけでなく、プロの人間でもあるのだ。

 

記者をやり玉にあげてしまったが、他の仕事でも同じだろう。

 

今はW杯が盛り上がっているが、

あのピッチ上に立っている選手たちも、

ストイックに生き、死ぬほどの練習を積み重ね、

そして、過酷な環境で戦っている。

それでも負けたときには、ものすごい誹謗中傷の嵐である。

プロでいるということは、そういうことなのだ。

 

いつの頃からか分からないが、働くということについて、

「楽しく仕事をしよう」「自分のやりたいことをやろう」と言う輩が増えた。

片手間でしか仕事をしていないくせに、

さも仕事とプライベートを両立させているような、エセのアピールをする輩も増えた。

 

俺から言わせれば、そんなものは幻想である。

 

しかし、そんな幻想がまかりとおる国になってしまったからこそ、

心身共に丈夫なのに、「ストレスが~」とか文句ばかり言い、

働かずに親のすねをかじっている、「偽物のひきこもり」も増えたのだ。

 

プロの仕事とはどういうものか。

その価値観を見直すときが、来ているのではないだろうか。