介入のバランス

子供(といっても30代のいい大人)が、

親に暴言を吐いている音声を聞いた。

子供からの暴力や暴言に悩んだ親が、

念のために録音したものだ。

 

呂律がまわっていないところもあり

何らかの問題を抱えていることが分かる。

「ぶっ殺す」「死ね」等、ゾッとするようなことも言っている。

一方で、これまでの親の生き方、自分に対する育て方について

かなり核心を突くような正論も言っている。

 

暴言だらけの音声だが、

怒りよりも悲しみがにじみ出ているように、俺には聞こえる。

 

だからと言って、子供が親に何をしてもいい、

親が悪いのだからしょうがない、とは思えない。

 

親はもう何十年も、子供のことで悩んで苦しんできたわけだし、

子供だって、いつまでも親を恨んで、この先何十年と、

暴言や暴力だらけの生活を続けるのでは、あまりにも不幸だ。

 

どうせひとはいつか死ぬのだから

それまでは人間らしく生きる権利が、誰にでもある。

 

ここらでいったん、関係をリセットして

「一緒にいることは、お互いのためにならない」

ということを理解して、その後は距離を持って、

それぞれの人生を生きていくしかない。

 

だからこそ俺は「家族の側」と「患者(子供)の側」、

そのどちらかに立つのではなく、真ん中に立つことこそが、

それぞれの尊厳を護ることであると、考えている。

 

実は、それが一番難しいことなのだが、

説得の極意の一つとも言えるだろう。

 

ちなみに、問題を抱える子供を排除すれば、

すべてが丸くおさまって人生ハッピーになる……

と考える親が少なからずいるが、そんなことはない。

バランスが崩れて、別の問題が噴出することは、けっこうある。

それは、その後の親の生き方にかかっている。

 

子供もまた然り。

親と決別すれば、必ず人生が良くなるってわけではない。

そこからどう気持ちを切り替えて、前向きに生きるか。

そのちょっとしたこころの加減で、

人生のあり方は、大きく変わっていくのだ。