またしても、殺傷事件が

またしても、殺傷事件が相次いでいる。

 

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(以下引用:日本テレビ系(NNN) 1月9日(金)11時15分配信)

 

 “父親殺害”32歳長男を逮捕 品川区

 

8日、東京・品川区のマンションで、70歳の男性が血まみれの状態で死亡しているのが見つかり、警視庁は、同居する32歳の長男を殺人の疑いで逮捕した。

 

 

警視庁によると、8日午後6時過ぎ、品川区東大井のマンションの一室で、この部屋に住む会社員の男性が血まみれの状態で死亡しているのが見つかった。男性は腹や胸などを数か所、刺されていて、室内には血のついた包丁があったという。警視庁は、部屋にいた無職の長男が殺害を認めたことなどから、9日午前、殺人の疑いで逮捕した。

 

長男は調べに対して、意味不明な言動を繰り返しているということで、警視庁は、刑事責任能力の有無についても調べることにしている。

 

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(以下引用:毎日新聞 1月9日(金)20時15分配信)

 

<殺人未遂容疑>和歌山で女性刺した中3「殺すつもりで」

 

9日午前8時半ごろ、和歌山県海南市船尾の路上で、通勤途中だった会社役員の女性(38)が、後ろから男に背中や太ももを包丁で刺された。男は同市内の中学3年生の少年(15)で、付近の住人の110番で駆けつけた県警海南署員が殺人未遂容疑で現行犯逮捕した。女性は重傷。少年は「殺すつもりで刺したことは間違いない」などと供述しており、同署は動機などを追及する。

 

同署によると、包丁は刃渡り12.5センチ。署員が駆けつけた際、少年は服を倒れている女性にかけ、上半身裸だった。女性と少年に面識はなかった。

 

現場はJR海南駅から北西約2キロの閑静な住宅街。

 

少年が通う中学の校長によると、少年は2013年9月に転校してきたが、昨年10月末ごろから体調不良で15日続けて学校を欠席し、その後は午後からの通学が多かった。今月7、8両日は通常通り登校したが、9日朝は「体調が悪いので欠席する」と親から学校に連絡があったという。

 

また、少年は学校の保健室で教員に、刃物によるふくらはぎの自傷行為の痕を見せたことがあり、精神科を受診していた。【倉沢仁志、高橋祐貴】

 

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ニュースからはいずれも、事前に何かしらの予兆があったことがうかがえる。

それでいてなぜ、事件が起こってしまうのか。

 

現行の制度や行政機関の対応にも問題はあるのだろうが、

当事者(家族や周囲にいるひとたち)の

危険予測・危機管理の低さも、間違いなく、あると思う。

 

うちへの相談でもよく見られる光景だが、

家族は「子供に殺される」と言って怯えている。

しかしそのわりに、行動が伴っていない。

 

たとえば、「保健所や医療機関にも相談したけど、何もしてくれない」という家族。

よくよく話を聞くと、実は、電話でさわりを話しただけで、

窓口に赴いて直接、相談したわけではなかったりする。

俺も相談を受ける側だから分かるが、

電話だけで何とかしようとする家族と、実際に面談に足を運んでくる家族。

どちらの相談に親身になるかは、言わずもがなだ。

 

あるいは、「きちんと治療を受けさせたい」と言いながら、

本人の状態(病名)について、本当のことを言わない家族。

よくあるのは、薬物やアルコールへの依存を、体裁が悪いからといって、

統合失調症だのうつ病だのと偽って申告してくるケース。

 

医療機関に対してまでそんなことをしているのだから

いくら医療につないだところで、当人が良くなるわけがない。

 

最近は、本人と同居していない家族(たとえば兄弟姉妹など)が

詳しい状況も分からずに、ただ「助けてくれ」と言ってくるケースも増えている。

こういう場合、こちらが介入するほど、新たな事実が発覚して、

とても、医療につなげれば何とかなるレベルではないことが分かる。

そうなると、兄弟姉妹ほど「自分はよく知らないんで……」

と及び腰になってしまうから、こちらが振り回される形になってしまう。

 

行き当たりばったり、その場しのぎを繰り返して

オタオタしている家族の姿を見ていると、

「考えない」「(自分で)行動しない」人間が増えたのではないか、

と、思わずにいられない。

 

だからこそ、第三者が見ても、明らかに危機的状況が見て取れて、

家族自身も「殺されるかも」と言っているような状態なのに、

実質的には何の対策もとらずに、

意外と普通に飯を食ったり、遊んだりできてしまっている。

 

念のため言っておくが、俺は何も、

「精神疾患を患う人間=危険」と言いたいわけではない。

 

病気だから、障害だから、では言い尽くせない問題が

家族の中には転がっているのだ。

 

取材に来ていたテレビ局のディレクターが、

「家族の事件は、中が見えないから、本質が分からない」と言っていたが、

まさにその言葉の通りなのである。

 

何か事が起こってから、本人を医療や司法の枠に追いやるのでは、

本人を一方的、あるいは一時的に排除するかたちにしかならない。

 

家族自身も、本人との関係性や生育歴における過去、

さらには自分自身の生き様を振り返り、照らし合わせたうえで、

行動を積み重ねていかないかぎり、真の解決には至らないのだ。

 

そして、そういった形でじっくり家族に関わり、

当事者をサポートできる仕組みも、必要とされているのだろう。

 

連日引き起こされる事件は、社会に、家族に、

そのことを訴えているように思えてならない。