現場!押川に突き刺さる! ASKAのブログは、超絶・驚愕の教科書だ!!

ヤフーニュースを見ていたら、ASKAの記事が目に止まった。

この記事は、現行の精神保健に関する法律や精神科病院の実態、

人権(本人の意思を尊重すること)の意味合い、家族の苦悩、

さらには、薬物の恐ろしさや後遺症の現実を如実に語っている。

まさに「教科書」だと思ったので、取り上げる。

 

(以下引用:スポニチアネックス 7月20日)

ASKA 半年ぶり沈黙破りブログ開設 妻と大げんか、家出か?

 2014年9月に覚せい剤取締法違反罪で有罪判決を受けた歌手ASKA(58)によるものとみられる1カ月限定のブログが開設されたことが19日、分かった。関係者によると、「本人が書いたものに間違いないようです」という。

1月に事件への思いや近況などをつづった文章をネット上で公開して以来の意見発信。当時は盗聴被害を一方的に訴え、今回のブログでも同じような内容が見られる。関係者は、現在のASKAについて「逮捕後も支え続けてくれた妻とも、ついに大げんかになった。その後、八王子市の病院に身を寄せていたようです。きょう現在もいるのかどうかは知りませんが…」と証言。周囲の知人も距離を取り始め、家族とも衝突したことで、自宅を出たとみられる。

そんな中、約半年ぶりに沈黙を破ったのがブログだ。最初の書き込みは18日付。「この半年間のできごとについて」と題し、盗聴被害を主張したことが覚醒剤の後遺症と判断され、国が定める「医療保護入院」という制度の下「入院をさせられてしまっていました」と報告。4カ月に及んだという病院での生活について「最初の10日間は部屋に鍵がかけられ自由を奪われました。何もやることがないというのは本当につらい」と振り返った。「3カ月を過ぎた頃、僕が正常であると確信したある弁護士ら」に救出され、転院先の九州の病院で「病気ではない」と診断されたとしている。

19日の書き込みでは、「僕は、僕が元気であることをみなさんにお知らせしたいだけ。メディアは僕が病気である方が記事にしやすいし、喜んでいるのです」と主張。ブログの閲覧者に向け「いいじゃないですか。いろんな意見があって。肯定も、否定も、すべてOKですよ」と、コメントを求める呼びかけをした。

 

私見ではあるが、「盗聴・盗撮」について書かれた内容や、その執着ぶりを見る限り、

ASKAは未だ、覚せい剤精神病の影響下にあると思えてならない。

 

なお、覚せい剤精神病の症状について、参考までに論文から以下を引用しておく。

 

(以下引用:「覚せい剤精神病と統合失調症との比較」船田大輔、松本俊彦

精神科治療学 第31巻 第3号 2016年3月)

思考の障害では注射直後の連合弛緩、多弁や観念奔逸をきたすこともある。猜疑心に満ちた歪んだ解釈や、活発な妄想的な意味付けが挙げられる。例に挙げると「警察による監視や尾行」「売人が陥れる」「暴力団による迫害や盗聴」「覚せい剤仲間と妻の浮気」といったようなものが多い。乱用が長期にわたると次第に荒唐無稽で非現実的な内容のものに移行する。

(中略)

林(※林暲:慢性覚醒剤中毒.総合医学,12;656-661,1955)はこうした精神症状が20日以内に消失したのは70%に満たず、大部分の者の症状が目立たなくなるのは6ヶ月後だとしている。さらに「2~3年に至っても、妄想、知覚のとれぬものがあり、ほとんど真の分裂病と区別しがたい状態が固定したまま動かぬ症例が10%足らずはあるようである」としており、覚せい剤の長期乱用が脳障害をもたらし、その障害が断薬後も持続していることを示している。

 

こういったわけで、おそらくASKAの家族も対応をとりかね、

精神科医への相談のもと、「医療保護入院」に同意したのであろう。

 

※「医療保護入院」とは、指定医が入院の必要性を認め、

家族等が入院に同意した場合の入院形態である。

基本的には退院にも、その家族等の同意がいる。

 

その後ASKAは、「僕が正常であると確信したある弁護士らによって救出して頂いた」のちに、

医療保護のまま「九州の病院に転院した」と書いている。

 

そして、転院先の院長の診断の結果、病気ではないとされ、

医療保護から任意入院に切り替えられ、一ヶ月ほど入院生活を送った。

 

この時点で、ちょっと精神科病院の仕組みが分かる人からすれば、

いろいろと疑問が湧いてくることだろう。

 

「僕が正常であると確信したある弁護士らに救出され」ながら、

なぜ即座に退院とならず、九州の病院に転院になったのか。

九州の病院で「病気ではない」と診断されたのなら、

なぜ一ヶ月も入院生活を送ったのか……等である。

 

ニュースとブログから読み取れる事実しか分からないため

ここからはあくまでも俺の憶測でしかないのだが、

退院したい本人と、退院を渋る家族の葛藤が垣間見える。

 

ASKAが「弁護士らによって救出」と書いているところをみると

おそらく八王子の病院からの退院は、家族の同意が得られず、

自ら弁護士に介入を依頼したのであろう。

 

医療機関側は、院内に弁護士が入ることを、とても嫌がる。

退院請求を出す患者同様、対応の面倒な患者とみなされ、

「どうぞ、退院してください」という話になることが多い。

 

しかし医療保護入院の保護者である家族は、現状ではまだ治療が必要と考えた。

病院側も、「このまま退院させて、何か問題が起きては」という思いがある。

(八王子の主治医がASKAに医療保護の必要がないと診断したのならば、

主治医の権限で「任意入院」に切り替えればいいだけの話だからだ)

 

本人の希望と弁護士からの圧力、さらに家族の希望……

板挟みとなった八王子の病院は、倫理道徳観も鑑みた妥協策として、

九州の病院への転院というところで落ち着いたのではないか。

 

九州の病院で、ASKAは院長が「病気ではないと診断した」と書いているが、

病識がなく、精神科の治療に消極的な患者に対しては、

医師はかなり言葉を選んで、オブラートに包んだ物言いをする。

よってこの辺りは、ASKAが医師の発言を取り違えたのではないかと推測する。

 

ちょっとややこしい説明になってしまったが、

ようするに、ASKAのケースに限らず、今の精神科医療機関は、

本人に病識がなく入院治療を拒む患者に対しては、

積極的な治療はしませんよ、というのが基本ラインである。

 

とくに、弁護士を介在させたり、退院請求を出したりする患者については、

それだけで拒否反応を示す。

「対応の難しい患者」として、すぐにでも退院してください、となる。

 

もちろん、弁護士の介在や退院請求は、患者の正当な権利だ。

それでも昔は、「継続した入院治療が必要だ」と診断する患者については

弁護士等と喧嘩をしてでも、入院継続を守る医師もいた。

 

俺が尊敬する精神科医(故人)は、まさにそういう先生だった。

その先生は、薬物やアルコール依存症を専門としており、

それが、乱用を繰り返してしまう病気だからこそ、

退院を判断する基準はとても厳しかった。

 

退院後、患者を支える家族が、納得できて安心できる。

そういった現実的内容の将来設計を、患者自身が考えられるようになるまでは、

退院はさせられない、と常に言っていた。

 

それは、薬物やアルコール依存症が、命に直結する病気であり、

また、犯罪と隣合わせだからこその、厳しさだったと思う。

(飲酒は犯罪ではないという批判が来そうだが、

アルコール依存症者の飲酒運転や、酩酊による事件は少なくない)

 

ASKAの「盗聴・盗撮」が、

覚せい剤精神病の後遺症かどうかの議論は、この際おいておいたとしても

未だ不安定な精神状態にあることは、素人さんが見ても感じることだろう。

 

これほどの有名人で、お金も持っているだろうことを思うと、

今後も良からぬ人間がわんさと寄ってくることも、容易に推測できる。

 

あの田代まさしでさえ、一度目の服役を終えて出所後、

イベントに呼ばれて握手会をした際に、

並んでいた兄ちゃんから覚せい剤のパケをこっそり手渡されたそうだ。

売人の連絡先まで書いてあり、再び手を出すきっかけになったと告白している。

 

有名人ゆえに、再び表に出るときには、相当なリスクも生じるのだ。

 

ASKAは今回の退院騒ぎで、家族や周囲の知人とも距離が開いてしまったとある。

もちろん、スポーツ誌の情報なので真偽は不明だが、

短期間の入退院を繰り返すことになれば、家族が疲弊するのも当然だ。

他人事ながら、心配である。

 

ASKAも、そして清原も天才であった。

だが、天才にも賞味期限がある。

ずっと昇り調子というわけにはいかない。

 

それを彼らは、自身では悟ることができず、

人気や活躍のピークが過ぎた時点でも、認めきれなかった。

 

彼らが覚せい剤に手を染めたのは、

「天才」の感覚を持続したかったからではなかったか。

俺には、そう思えて仕方ない。

 

途絶えることのない有名人の薬物事件の裏側には、

寂しさを埋める、性的欲求を満たすといった理由だけではなく、

「天才」「選ばれた人間」「人気者」……そういった快感を持続したい、

そのような理由もあるのではないか、と俺は思うのだ。

 

もちろん、薬物は一度でも使用した時点で「乱用」とされ、

依存症という病気になってしまう人もいるため、手を出したが最後、

本人の意思だけで、どうこうできるものでもなくなるのだが。

 

そう考えると、自分のピークが過ぎたとき、

「山あり谷あり」の「谷」にいるとき、そういうときほど、

「心から厳しいことを言ってくれる」ひとの存在が大切だと感じる。

そして、その厳しい助言に耳を傾けられる、素直な自分がいるかどうか。

 

ASKAや清原にも、そういう人がいてくれるといいなと、願わずにいられない。