どこまでも真実、実態、本質!

6歳の長男の首を絞める 殺人未遂の現行犯で父逮捕

(産経新聞 12月28日)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151228-00000550-san-soci

 

「父親の胸を刺した」と通報、殺人未遂の疑いで男を逮捕

(TBS系(JNN) 12月30日)

http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20151230-00000011-jnn-soci

 

酒に酔って暴れた義父、わき腹蹴られ死亡

(TBS系(JNN) 12月31日)

http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20151231-00000002-jnn-soci

 

「親殺し、子殺し」の事件を、やたらと目にした一年だった。

この数の多さは、一般の方々も感じていることだろう。

年末の報道特番などで、取り上げられるかと期待したが、

俺の知る限りでは、どの局も、この問題には触れていなかった。

 

背景に何があるのかは、さまざまだ。

ニュースから読み取れる情報はほんのわずかで、

とくに精神保健がからんだときには、情報すらフェイドアウトする。

 

しかし、俺からしてみれば、家族が殺し合う、

その背景に「何もなかった」などということは、ありえない。

 

人間はどうしても、ラクを好む生き物だ。

家庭内に決定的な問題があり、なんとかしようと動いていても、

解決に至らない家族は、どこかで真実や本質から、目を背けている。

 

今は本当に、見てくれがいいもの、わかりやすいもの、

耳に心地よいこと……そういったものが、好まれる。

 

「ひきこもり」という言葉も、実は同じではないかと、俺は思う。

 

「ひきこもり」に関するドキュメンタリーや、書籍、

記事などはたくさんあるが、「たてこもり」にまで発展するような

そんな事態に陥っている事例には、触れられていない。

 

これまで、この分野の著名な専門家やジャーナリストたちは、

「本人の意思を尊重して、そっと見守りましょう」

とばかり、繰り返してきた。

 

たいてい、その手の専門家やジャーナリストたちは、

見てくれもよく、物腰もやさしいから、

困り果てた親たちは、彼らにすがり、追随していた。

 

しかし、結果として、ひきこもりは高齢化・長期化し、

親も高齢となったことで、いよいよ、

本人の面倒をみることができなくなっている。

 

今年に起きた親子間の殺人事件の報道においても、

加害者、被害者ともに「ひきこもりが入り口だった」

「ひきこもりがちだった」というフレーズが、何度出てきたことか。

 

いつも言っていることだが、精神障害者やひきこもりが

=事件を起こす存在、と決めつけたいわけではない。

 

第三者とつながることができるだけの精神状態であり、

行政や福祉のサポートにより、自立を目指せるひとも、いる。

 

その一方で、家族とさえ、ごく普通に接することができず

このまま看過していては、事件になりかねないケースもある。

その中には、精神科での早急な治療を必要としているひともいる。

そういった家族の問題も、あるのである。

 

ところが、「精神疾患」「ひきこもり」……

事件の背景にそういったことが見えると、

日本のメディアはとたんに自主規制に転ずる。

 

死んだ人間に対して鞭を打つような真似をしても仕方ない。

そういう考え方もあるかもしれないが、だからといって、

靄の中に埋め込んでしまっては、なんら真実は見えない。

場合によっては、亡くなったのを良いことに、

綺麗ごとやファンタジーとして、消費してしまうことさえある。

 

俺は、「ひきこもり」も総じて家族の問題だと思っている。

なぜなら、ひきこもることができるのは、そこに居場所があるからだ。

 

もちろん、身寄りもない、頼れる親族がいない、

というひきこもりの方もいると思うが、

実家(持ち家)のような住む場所や、資産でもない限り、

少なからず、行政や福祉の支援を受けているはずだ。

就労というかたちでの社会参加はできなくとも、

つながっている人間関係は、あるのである。

 

そういう意味で、深刻で重度の問題ほど、

やはり「家族」の中に、ある。

 

しかし「ひきこもり」という言葉には、

この、家族や親子の問題という本質のところにまで、

目が行き届かない作用がある。

 

親が子供を「ひきこもり」という枠におさめることは、

年々、激化する親への激しい要求や暴力・暴言、悪化する精神症状、

そういったものを、すべてそこにとどめさせる危険性がある。

 

実際に、「本人の意思を尊重して、そっと見守る」ために、

親が本人の要求をすべて受け入れてしまっているケースもある。

現状では、かろうじて事態は沈静化しているものの、

将来的な展望は何もなく、親の亡き後どうなるかという、

非常に大きな問題を抱えている。

 

ひきこもりを語る、見てくれのいい専門家たちが、

最近また、いろんなメディアに登場しているのを目にするが、

俺からしてみれば、その核心に、まったく触れていない。

 

それこそ、重たい問題、解決の難しい問題からは目を逸らし、

扱いやすい問題のうわべを、サラッとなでているだけだ。

 

彼らこそ、十年以上も前から、ひきこもりの問題に関わってきて、

それこそ耳に心地よい提言をいろいろと提唱してきたはずだが、

今のひきこもりの長期化や高齢化、あげくの果てに起きている親子間の殺人を、

どう説明するつもりなのだろうか?

 

彼らは死者に鞭打たない代わりに、死にそうな目に遭っている人間、

このままでは死ぬかもしれない人間を、黙って、見ているだけだ。

 

さわやかさを装って。

 

それが俺には恐ろしい。

 

だからこそ俺は、どれだけ誹謗中傷を浴び、

やくざだなんだと罵られても、

どこまでも真逆をいき、真実、実態、本質を伝え、

本物の解決策を提言していく。