別れ

今年は、一つの大きな別れがあった。

 

何度かこのブログでも触れたことがあるが、

俺の恩師である弁護士の西幹忠宏先生が、亡くなられたのだ。

 

西幹先生と出会ったとき、俺は警備会社を興したばかりで、

まだ若く、最高潮にいきがって生きていた。

 

先生は、経歴はもちろん、生まれ育った環境も、

俺とは、比べることがおこがましいほど、それこそ天と地ほども違う。

 

頭が良いだけではなく、品があって、

ギラギラしたところがまったくなくて、本当にスマートだった。

 

年がら年中、むちゃくちゃなことばかりしていた俺のことを、

なぜ、あんなにもかわいがってくれたのだろうと、

正直いって、今でも不思議に思うくらいだ。

 

俺が、説得移送の仕事をはじめようと考えたときに、

誰よりも賛同してくれたのが、先生でもあった。

 

当時、かけていただいた言葉は、俺のこころのなかで、

この何十年とまったく色あせることなく、光っている。

 

それから、「辛抱」。

これも、先生から教わった大事なことの一つだ。

 

この仕事をはじめてからはとくに、

いわれのないトラブルに巻き込まれたり、

ひとから誹謗中傷を浴びたりすることが増えた。

 

まだ若かった俺は、そういう出来事が起きるたびに、

ひたすら勢いで、相手に突っ込んでいこうとした

(実際に突っ込んでいったこともあった)。

 

そのたびに先生は、「慌てることはありませんよ。

押川君は、志を持ってやっているのですから、

時間はかかっても、必ず良い結果が出ますよ」と言った。

 

当時は、なぜ先生が俺を止めるのか理解できず、

「好きにやらせてくれたらいいのに」と思うこともあった。

 

しかし、もし、あの頃、西幹先生がいなければ、

俺は、その場の衝動でトラブルをさらに炎上させ、

結果として、取り返しのつかない事態を招いていたかもしれない。

 

そう思うと、先生はまさに、命の恩人なのだ。

 

西幹先生は、御年79歳だった。

大親友である、元最高裁判所長官町田顯氏が亡くなられた数ヶ月後に、

あとを追うように、天に召された。

 

最後までやさしく、スマートな先生らしいエピソードだ。

俺の哀しみは少しだけ、癒された。

 

先生の信頼にこたえるためにも、

人間として生きなければ、と思っている。