京都アニメーションスタジオの放火事件に寄せて

京都アニメーションスタジオの放火事件について、詳細が報道されるにつれ、なんと凄惨な事件かと、哀しみと憤りにかられている。多くの優秀なクリエイターが犠牲になったと聞く。亡くなった方々のご冥福を心からお祈り申上げ、また、被害に遭われた方々が一日も早く快復されるようにと祈るばかりである。

被疑者の男は意識不明の重体で治療中ということもあり、動機はいまだ判然としない。警察官に確保されたとき、「小説を盗まれた」と話したそうだ。被疑者と京都アニメーションに関係性は見つかっていないため、一方的な恨みを募らせての犯行という説も流れている。

被疑者の経歴は少しずつ明らかになっている。文春の報道(“京アニ火災”青葉真司容疑者 20代には「下着泥棒で連行」「家族が家賃補填」も)によれば「両親が幼少期に離婚し、父親と暮らしていた」「中学卒業後は夜間高校に通い、県の非常勤職員や新聞配達員など職を転々としていた」「その間に父親が死亡し、家族とは疎遠になっていた」という。

そして2012年にコンビニ強盗を起こす。当時に関する報道を以下に引用する。

 京都アニメーションのスタジオ火災で身柄を確保された職業不詳青葉真司容疑者(41)は2010年ごろから約2年間、茨城県常総市の集合住宅で暮らしていた。当時を知る管理人の男性(70)は「騒音をめぐって近所と何度もトラブルを起こしていた」と振り返った。
管理人によると、青葉容疑者はハローワークのあっせんで集合住宅1階に入居。夜中に目覚まし時計を鳴らしたり、奇声を発したりし、上の階や隣の部屋の住民から苦情が寄せられた。家賃もほぼ滞納していたという。
同容疑者は12年6月20日未明、同県坂東市のコンビニで店員に刃物を突きつけて現金約2万円を奪ったとして、強盗容疑で逮捕された。
警察から連絡を受けた管理人が鍵を開けて同容疑者宅に入ると、ベランダのガラスが割れ、壁に殴ったような大きな穴が開いていた。食料品などが室内に散らかり、激しい異臭がしたという。

引用:時事ドットコムニュース 2019/07/20 騒音トラブル、家賃滞納=近所から苦情、茨城でも-京アニ放火容疑者

断片的な情報からも、被疑者が他者とのつながりを失い、孤独を募らせていたことが分かる。そして服役後は更生保護施設に滞在し、退所後は埼玉県内のアパートに居住する。そしてここでも近隣トラブルを重ねている。

この頃について、NHK NEWS WEB(京都放火事件 容疑者の名前公表)によると、

「関係者によりますと生活保護を受けていて、精神的な疾患があるため訪問看護を受けることもあったということです」

とある。

時系列で言えば、強盗事件を起こしたことで、生活保護や訪問看護など行政・医療の支援につながっている。しかしその後も近隣トラブルを重ねるなど、明らかに危うい精神状態であったと推測できるのだが、踏み込んだサポートには至らなかった。その背景にあるものについては、私のブログや本・漫画を読んでくれている方々には、改めて説明する必要もないだろう。

 

私のところには、問題行動やトラブル、違法行為を繰り返す身内についての相談が絶えないが、「何とかしなければ」と考えている家族がいるだけ、まだ救いがあるのかもしれない。離婚や死別に限らずとも、家族関係は希薄になる一方である。家族も生きることに精一杯で、問題を抱える当事者に対して、さっさと匙を投げているようなケースもたくさんある。最近で言えば、川崎市多摩区登戸で起きた小学生襲撃事件の犯人も、完全に孤立した生活を何十年も送っていた。

「機能不全に陥った家族から、事件(加害者)が生まれる」ことは、ひとつの真理である、と私は思っている。そして、今のような時代にこそ、このテーマの正誤も含め大いに議論し、現実的な対策を練る必要があるとも考える。

しかし「個人」が尊重される今、事件のときに「家族」を持ち出すことさえ、はばかられるようになった。誤解のないように申し上げるが、これは、「家族にも責任を負わせよ」という意味ではない。かつてのマスメディアのように、家族や親族など関係者を執拗に追いかけまわし、不躾な取材をすることは、やはり人道に反すると私も思う。

だが、それらの報道があったおかげで、加害者の生育歴がわかり、人となりがわかり、そこから家族や地域を含めた「社会」の問題も論ずることができた。これはまぎれもない事実だろう。最近はあまりに規制が多すぎて、加害者だけでなく被害者の情報もシャットアウトされている。情報があふれてみえる現代において、我々が手にしているのは、実は事件の凄惨な「見出し」だけなのである

ちなみに、日本では裁判記録の閲覧ができない。法律(刑事訴訟法53条1項)には、

「何人も、被告事件の終結後、訴訟記録を閲覧することができる。但し、訴訟記録の保存又は裁判所若しくは検察庁の事務に支障のあるときは、この限りでない。」

と定められているのだが、実際のところ、事件関係者以外からの閲覧請求は原則不許可とされることが多いのである。このことについては、NHKオンライン「刑事裁判記録は誰のものか」(視点・論点)に詳しく書かれている。

もちろん、判決が出ればメディアも取り上げるが、よほどの重大事件でない限り深掘りはされない。我々一般人が事件の背景や過程を知りたいと思ったら、裁判をリアルタイムで傍聴するしかないのであるが、すべての裁判を傍聴することなど不可能であろう。

ひとたび事件がおきれば、いろんな人がいろんなことを語る。憶測やフェイクも含め、とてつもないスピードで情報が流れる。しかしそこに、たしかに存在したはずの「人間」の姿をつかむことが難しくなった。「人間」の手触りがなくなれば、事件に対する恐怖や怒り、悲しみなど、「人間」としての感情も、一過性のものにすぎなくなる。

私は、こういった事件を防ぐことは、今後ますます難しくなるだろうと感じている。非力な自分にできるのは、せめて自分の手の届く範囲にいる人たちの、その輪郭をしっかりと確かめながら、日々を生きることである。