不可解な事件の多発②

昨日の続きである。

 

本来であれば、こういった世の中の状況を憂い、

何とかしなければと奮闘すべきが、俺たちの世代(40~50代)なのだが、

哀しいかな、もっとも実感を伴っていないのが、この世代でもある。

本当に、「何も考えていない」人間が多いのだ。

 

これは個々の頭の良し悪し、性格の良し悪しには関係なく、

高度経済成長、そしてバブルの時代を生きてきた弊害だと思う。

なぜなら、何も考えなくても、いい思いができたからだ。

 

この間、うちの30代のスタッフから

「押川さんが大学生の頃、自分の生きる意味や存在意義を真剣に考えたり、

語り合ったり、そういう学生はいたのですか?」と聞かれて、

俺は即座に「ほとんど、いなかったな!」と答えた。

もう一人の40代のスタッフも

「人が集まると、意味のない会話でバカみたいに大騒ぎするだけだった」

と思い返していた。

 

人間が生きる意味とか、どう働いて社会参加していくかとか、

そんなことを真剣に考えなくても、親の言うことを聞いて、

社会が推し進めるレールに乗ってさえいれば、

それなりの大学、企業に入ることができて、中流以上の暮らしが確保され、

なんだか分からんが面白おかしく生きていける。

そういう時代だったのだ。

 

バブル崩壊後、状況は大きく変わった。

阪神大震災やオウムのテロ事件もあり、

日本の安定も安全も、すべてが幻想だったと思い知らされた。

 

しかし一方で、国を動かすような、たとえば官公庁や大企業ほど、

バブル世代の地位は確保され、守られてきた。

だからこそ、一般的平均的な人々の生活には思いが及ばず、

安定や安全という神話を、無責任に垂れ流しつづけた。

 

あげく、経済や安全が完全に崩壊した現代においてもなお、

自分たちが吸った甘い蜜を忘れられず、都合の良い情報だけを世の中に流し、

ラクをして徳を得ようとジタバタしているように、俺には見える。

そしてそのしわ寄せは、すべて下の世代にいっているのだ。

 

もちろん同世代の中にも、人格者と思えるひともいる。

そういうひとは、時代や社会に流されることなく

常に自分から苦労する道を選んでいるし、生き方も生活も質素そのものだ。

 

立て続けに起きた事件の件からは、だいぶ話が逸れてしまったが、

俺が何を言いたいのかというと、

「これから先は、日本という国の正体について、

真実を知る努力をした者だけが、生き残れる!」ということだ。

 

しょせんは、俺たち世代のようなトンデモナイ人間たちが中心となって、

国を動かし、ニュースを流し、会社で大きな顔をし、子供を育てているのである。

その事実を、よくわきまえなければならない。

 

自分の身を守れるかどうかは、自分の判断にかかっている。