自分の頑張りどころ

ここ数日、ある緊急案件について動いていたので、

ブログどころかパソコンをひらく余裕もなかった。

 

己の進退をかけるほどの、非常に込み入った案件だったのだが、

現況としては、道半ばといったところだ。

これまでは現場で派手に動き回っていたが、

ここからは頭を使って、どう締めくくるかを考えねばなるまい。

 

ブログを放置している間に、コメント欄にいくつか

「どうしたらいいか?」と、俺に問いかけるようなコメントが入っていた。

 

しかし俺は、そもそものところで思うのだ。

ひとは皆、他人に答えを求めたがるけど、

たしかな答えを持っているひとが、果たしているだろうか?

 

もし本当に素晴らしい、誰もが納得する答えがあるならば、

経済状況も含めて、世の中はもっと良くなっているはずである。

 

言ってみれば、誰も彼もが手探りなのだ。

演説ぶっている政治家も、国を動かしているはずの官僚も、

肩書きのついた専門家も、テレビで意見を述べているコメンテーターも……。

 

俺だって、相談に来た家族には、常に最高の答えを提示しているつもりだが、

いざ動き始めてみれば、必ずしもその通りに事が進むわけではない。

業務の過程で思いもよらない事実が判明したときや、

予測しえないトラブルが起きたとき、

それを乗り越えられるかどうかは、

最後は依頼者(家族)の決断と、頑張りにかかっている。

 

俺のやっていることって、つまるところ、

家族に真実を突きつけて、ケツに火をつけているだけのような気がする。

 

ケツに火がついたとき、家族が、それを真摯に受け止めて、

「何が何でも解決しなければならない!」と思うかどうか。

 

そこには、何をもって真実とするか、という課題もある。

存在する事象は一つでも、ひとによって正に見えたり負に見えたりする以上、

個人の主義・主張を持ち出して話し合っても、永遠に平行線でしかない。

だから俺は、警察の介入含め、刑法・民法に照らし合わせて判断をする。

 

そういうこともあって俺が介入すると、たいていの場合、事態がオオゴトになる。

「押川のせいで家族がバラバラになった」と文句を言われることもある。

それはある意味で、真実だとも思う。

 

バラバラになったあとに、何を選ぶのか。

それこそが、一番、大事なことではないだろうか。

 

そこまでいったときには、人間は究極の決断を迫られる。

他人のアドバイスや意見なんて、しょせんは判断材料の一つでしかない。

 

自分の目で見たもの、耳で聞いたことを信じて、

自分で考えて、自分で決めるしかない。

そうやって考え抜いて出た結論こそ、

そのひとの、その家族の、こころの声なのだ。

 

こころの声に従って行動した結果、正が降りかかるか、負が降りかかるか。

それは、出した答えの結果なのだから、当人が受け止めるしかない。

 

しかし最近は、そのこころの声さえ、聞き取れないひとが増えた。

 

こういう仕事をしていると、嫌でも感じることだが、

自分たちで考えたり、努力したりすることを放棄して、

なんでもかんでも他人に丸投げしようとする家族が、本当に多いのだ。

 

明らかに家庭環境・親子関係に問題があるのに、それを棚上げして、

「こんなに困っているのだから、誰かが何とかしてくれて当たり前!」

という勢いで、相手の都合などお構いなしに、グイグイくる。

 

たしかに俺も、行政や医療機関には、もうちょっと頑張ってほしいと思っている。

 

しかし、他人に対してわめき散らして暴れ倒して、面倒をなすりつけておいて

自分たちはラクになりたい……と思っているような家族を見ると、

この国の親は、大人は、いったいどうしてしまったのか! と、空恐ろしくなる。

 

俺がブログやテレビ出演を通じて伝えられるのは、

俺がこの目で見て、耳で聞いて、こころで感じた、一つの真実である。

 

俺は多少なりともひと様よりは危ない経験もしているし、

仕事を通じて、なかなか見られないような現実を見てもいるので、

そこに、俺なりの考えや意見をのせて発信している。

 

それ以上でも、それ以下でもない。

 

だから、俺の見聞きしたことを、参考にして、

こんな事実があるのか! と気づいてもらえたら嬉しい。

そして、自分自身について、自分の家族について、

自分の身の回りにいるひとたちについて、

もっと関心を持って、知り合って、語り合ってほしいと思う。

 

己を取り巻く真実と、真摯に向き合い、

「本音で、本当のことを話し合える関係」を、大事にしてほしい。

 

今は、親にしても子供にしても嘘ばっかり吐く奴が多くて、

本音で生きようと思っているひとほど、

「おかしい」「病気じゃないか」と批難される時代だからな。

 

俺は、真実を見て、本音で生きていきたい。

だから、どこまでいっても、俺にできることを精一杯、頑張るだけだ。