熊谷6人殺害事件について

熊谷で起きた6人殺害事件であるが、俺は、以下のような報道を見聞し、容疑者がなんらかの精神疾患(おそらく統合失調症)を患っていたのではないか、と感じていた。

熊谷6人殺害、容疑者「殺される」 事件前に知人らへ

(以下引用:朝日新聞デジタル 9月21日)

埼玉県熊谷市の民家3軒で6人が殺害された事件で、関与が疑われているペルー国籍のナカダ・ルデナ・バイロン・ジョナタン容疑者(30)が事件前、複数の知人に電話を掛け「殺される」「誰かに追われている」と話したことが捜査関係者への取材でわかった。県警は意識不明となっている同容疑者の回復を待って、うち2人への殺人容疑などで逮捕する方針。

ナカダ・ルデナ容疑者は16日に民家2階から飛び降りた際に頭の骨が折れ、意識不明となった。捜査関係者によると、容体に変化はないが、危機的な状況は脱したとみられるという。

捜査関係者によると、同容疑者は13日午後に熊谷署から立ち去った際、パスポートや財布とともに携帯電話を置いていった。通話履歴などを調べると、同容疑者が事件前、外国人の複数の知人と連絡をとっていたことがわかった。県警が電話の相手から話を聴いたところ、同容疑者は身の回りで異常が起きていることを訴え、「殺される」などと話していたという。

 

ちなみに別の報道では、容疑者の姉が取材に答え、「弟は統合失調症を患っていた」と証言してもいる。今後は、容疑者の快復を待ったうえで、責任能力の有無が争点になるのではないか。

 

ちなみにうちの事務所には、ときどき、病識のない患者さん本人から電話がかかってくる。「隣の住民に盗聴(盗撮)されている」「(誰かに)追われている」「電磁波を浴びせられている」ので、助けて欲しいという相談だ

話を聞くうちに、それは、その方の妄想(とくに多いのが被害妄想)であることが分かるのだが、本人には病識がない。事実として誰かに追われ、盗撮や盗聴をされていると思うからこそ、せっぱつまって、うちのような民間会社にまで電話をしてくる。

その中には、妄想により自ら警察に駆け込んだり、近隣住民や第三者とトラブルを起こし、「警察を呼んだ(呼ばれた)こともある」と話す方が、けっこういる。

警察には、困っている家族や第三者だけでなく、精神疾患(の疑い)をもつ本人からの駆け込み相談や110番通報もかなりの数、舞い込んでいるのだ

当ブログでは何度も説明してきたことだが、こういった精神疾患(の疑い)をもつ人に対して、警察がダイレクトに精神科病院に連れて行くことはできない。できることは、精神保健福祉法第23条の警察官通報を行い、保健師の判断及び指定医の診察を仰ぐことだけだ(ただしこれも、本人に自傷他害の恐れがある場合に限られる)。

 

今回の熊谷の事件では、「警察がナカダルデナ容疑者を取り逃がした」と、大失態のように報じられている。しかし事実を並べてみると、最初は住民が近くの消防署に、「意味不明なことを言っている男がいる」と相談したことから、熊谷署の警察官が赴き、同署に任意同行している。おそらく警察署では、本人の言動から、精神疾患の疑いがもたれたはずだ。警察が通訳を手配していたという報道もあったので、第23条通報の準備をしていたのかもしれない

もちろんこの時点では、ナカダルデナ容疑者には、刑事上の何の容疑もかかっていない。あくまでも状況を把握するための、任意同行である。喫煙をしたいといわれれば、それを禁ずることはできない。精神疾患の疑いがあったとすれば、なおのこと、人権に配慮した対応になる。加えて外国人であるということから、正確な事実の把握に努めたはずだ。

 

その後、本人がいなくなり、結果として殺人事件が起きてしまったわけだが、任意同行した際の本人の様子が、いくら怪しかったとしても、事件との関連がはっきりするまでは、公開捜査に踏み切るわけにもいかない。とくに今回は、容疑者に精神疾患の疑いがあったからこそ、人権に配慮し、慎重な対応になったのではないか(たとえば精神障害者が事件を起こしたときには、報道でも名前が伏せられることが多い)。

 

しかし結果として、6名もの命が奪われる事件となった。警察が署に任意同行した段階で、医療につなげることが出来ていれば、防げた事件であることは、たしかだ。だからといって、これは、警察だけを責めるべき問題ではない。第23条通報のハードルの高さ、主管である保健所の腰の重さは、当ブログでもたびたび述べてきたことである

今回の事件で、世論は警察に対して「事件を防ぐことができたはずだ!」と責め立てるが、俺からすると、それはつまり、「精神疾患(の疑い)がある人物は、迅速に、適切な精神科医療につなげるべきだ」と言っていることと、イコールなのである。

本来、その権限を持っている主管行政機関は、保健所(精神保健福祉センター)である。保健所こそが、明らかに言動のおかしい人物に対して、精神疾患の有無を判断し、医療機関につなげることができる。

この事実が、なかなか周知されない(また、保健所側はあえて周知しようとしない)からこそ、一般市民の方々も、なんでも警察を頼り、警察が医療につなげてくれるものだと、勘違いしている。

 

ナカダルデナ容疑者に限らず、家族や第三者から見て「精神疾患(の疑い)が理由で、言動がおかしい。そのうち事件でも起こしそう……」という人物は、実は、巷にたくさんいる。だが、いくら家族や近隣住民が保健所に相談しても、本人が応じない限り自宅訪問や面談はしてもらえないし、「何かあったら警察に相談してください」と助言をされる。

警察に主体になって動いてもらうということは、「こういった問題は、刑事事件として扱ってもらってください」と言っているのと、同じ意味合いになるのだが、果たしてそれが、我々一般市民の望む解決方法だろうか? 事件や事故を起こさないためにも、適切な医療につながるべきだ、というのが、大多数の考えではないかと思うのだが、どうだろう。

 

そうであれば、主管行政は保健所であり、警察はあくまでも、危険な事案に関して保健所から協力要請があったときに、動く立場にある(保健所の『危機介入手引』などにも、そのように書かれている)。それが今は、主管行政は警察で、保健所がその補佐役のようだ。この立場の逆転が、俺には納得できない。

もし本当に主管行政を警察にするのなら、精神保健に関する法律から手引きから、すべて変えなければならないわけで、それはあまりにも現実的ではない。だからこそ俺としては、拙著でも提唱しているように、スペシャリスト集団(公益財団法人)のような存在を創るべきだと言っている。その是非も含めて、議論が深まることで、解決の道も見えてくるはずだ。

とはいえ、またしても、このような事件が起きてしまった。俺は、自分の力不足を痛感している。

亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。