薬物乱用との闘い

昨日は朝から、どのチャンネルをつけても、

清原逮捕のニュースばかりが目に入ってきた。

 

清原にしても、歌手のASKAにしてもそうだが、

逮捕となる以前から、疑惑の報道は流れていた。

 

おそらく本人も、薬物乱用が発覚すれば、人気も地位も将来も、

すべてを失うことが分かっていたはずだ。

「やめたい」「やめなければ」とも思っていただろう。

 

それでもやめられないのが、薬物なのだ。

 

俺が携わってきた薬物乱用者の中でも、

きれいさっぱりやめられて、「こいつはもう大丈夫だろう」

と太鼓判を押せるのは、1割にも満たない。

 

その1割の彼らも、安穏と暮らしているわけではない。

薬物との闘いは、例えばフラッシュバックなど生涯にわたって続く。

マラソンで言えば、その後の人生を最初から最後まで上位三位以内で走る。

常に先頭集団を走り続けるような、規則正しい生活……

それこそ北野武が著書で書いている「清く、貧しく、美しく」という生き方を、

死ぬまでやり続ける闘いである。

 

負けたときには、再犯を繰り返すか、若くして死んでしまうか。

 

かろうじて違法薬物はやめられても、

向精神薬やアルコールなど、別のものに依存してしまう者もいる。

 

薬物の後遺症で、気持ちや身体が思うようにならない。

働くこともままならず、時間を持てあましてしまう。

その穴埋めに、向精神薬やアルコールに手を出す。

そういうパターンが多いように思う。

 

とくにアルコールの大量摂取は、

覚せい剤で痛めた肝臓をさらに痛めることになり、

身体を壊すまでのスピードも速くなる。

 

しかしアルコールの摂取は、成人であれば法律違反でもないし、

今は、24時間、コンビニに行けば手に入る。

本人にとっても、周囲にとっても、止めるのが難しい。

 

本来、依存症の根本的な治療には、時間も要するし、

本人の自覚を促すためにも、厳しさは必要なはずだ。

しかし今の医療体制は、そこまで親身になってはくれない。

 

清原やASKAクラスであれば、入院先の確保はできるだろうが、

俺のところにくる家族の、薬物関係の相談を聞いていると

「依存症を扱う病院が近くにない」「受け入れを断られた」

「入院まで三ヶ月待ちと言われた」などと聞くことも増えた。

 

本人も苦しいだろうが、身近にいる家族や関係者の苦しみも、

並大抵のものではないのである。

 

いっぽうで、社会情勢が不安なときや、震災が起きたあとなどには

依存症になるひとが増える、というデータもある。

 

月並みな言い方になってしまうが、

「そうならない生き方」、「そうならない人間関係」を

常に模索していかなければ、と思う。

 

20160128

ちなみに先週の週刊新潮(2月4日号)

【精神科病院に隔離された「ASKA」の治らない後遺症】

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