『「子供を殺してください」という親たち』コミックス発売に当たって

~世界初の社会派漫画、刊行のご挨拶~

 

8月9日、『「子供を殺してください」という親たち』コミックス第一巻が刊行される。「なぜ今、漫画なのか」については、巻末に渾身のコラムを書いた。ここでは別の角度から俺の思いを伝える。

 

 

「命」に本籍

 

俺は「命」に本籍をおいてこの仕事をしている。これまでたくさんの家族の現場を見てきて、適切な治療やケアを受けられずに精神疾患の症状が悪化することは、命に直結することだと実感しているからだ。そこには、自傷他害行為のほかに、自身では健康管理ができなくなるセルフネグレクトもある。そして近年は、本人が思いあまって家族を殺す事件だけでなく、家族が本人を持てあまし殺害する事件も増えている。

メンタルヘルスの問題に携わるとき、常についてまわるのが「人権」という言葉だ。俺の「人権」とは、「命を守る」ことに他ならない。

 

 

「気持ちの中では、母親を殺した」

 

つい先日も、「命」にまつわる体験談を聞く機会があった。知人がふと漏らしたのだ。

「実は自分の母親も躁病で、本当に大変な時期があったんです」

知人の話では、あるときを境に母親が言動を抑制できず暴れるようになった。家族が振り回されることはもちろん、近隣に押しかけていって暴言を吐いたり、またあるときは金銭をばらまいたりしてしまうなど、それは激しいものだった。知人は実家を出て家庭を持っていたが、母親はそこにも昼夜を問わずやってきて、孫にまで手をかける勢いであったという。

「父親はもう、母親を『殺すしかない』と言っていました。自分も、それしかない、いざとなったらやるしかない、という心境でした……」

当時は、母親にとって環境の変化などもあったため、知人は長く「年齢的なものやストレスで性格が変わってしまった」と思い込んでいた。「精神疾患」という発想はなかった。あるとき、事情を知った知り合いの医師が「認知症ではないか?」と助言をくれた。そこで医療機関に相談に行くと、認知症ではなく躁病の疑いがあると言われ、とにかく一度、精神科病院を受診させようということになった。暴れる母親を病院に連れて行くことは困難を極めたが、事情をよく知る近所の人たちが協力してくれたそうだ。

母親は入院後、服薬により症状が落ち着いた。だが、退院すると薬をぜんぶ捨ててしまい、再発。そして再入院という経過を何度も繰り返した。その間に効き目のある薬が開発され、今は定期的に通院しながら、穏やかな生活を送れている。

知人は俺の仕事内容を知っていたはずだ。俺は、「そんなに困っていたなら、相談してくれれば良かったのに」と言った。すると知人は首を横に振った。

「誰かに相談しようなんて、思いもしませんでした。母親に直接会っているとき以外は、母親のことは考えない、記憶から消すようにしていましたから……」

「運良く実行せずに済んだだけで、気持ちの中では、母親を殺してしまっていたんだと思います……」

渦中にある家族の切実な、しかし真実そのものの言葉である。

「押川さんの本を読んだとき、母親のことが思い返されて、読み進めるのが本当に辛かったです。でもここで逃げてはいけないと思って読みました。自分のような知識のない者にとって、漫画の意義は大きいと思います。母親の病気のことも、いつか書いてください」

 

 

排除される「命」

 

家庭に入り、本人の部屋のドアを開け、「説得」することだけが、支援の手段ではない――。世間からは、そう批判を浴びる。そんな理屈は当たり前のことだ。俺に依頼をする前に、家族でできること、公的機関の力を借りてできることは、山ほどある。

「家族でぎりぎりまで頑張って、それでも駄目だったときのために、移送という手段があるのです」―― 俺は、16年前に出した初の著書「子供部屋に入れない親たち」の末尾にそう書いた。今もスタンスは変わらない。実際、親がまだ何も頑張っていない、一度も真剣に子供と向き合っていないのに、「なんとかしてください」と言うような家族の依頼は、どんなに頼まれても断っている。

世にあふれる支援の成功物語に難癖をつけるつもりはない。だが俺には、その多くが「命」から遠く離れたところで語り合われているように思える。病識のない重症化した患者や、精神疾患の疑いのある長期ひきこもりの対象者……その中でも、すでに限界値を超え、互いが死へのアクセルを踏んでいるような精神状態にある家族の問題を、どうするのか。

いつも理不尽に思う。人権の尊重を声高に叫ぶ当事者や医療従事者ほど、そのような重症例に対する対応策を、何も語ってくれない。それどころか、「大袈裟だ」「差別を助長する」などと言って蓋をし、無いものとして扱う。病識をもたない人にも医療にかかる権利はあり、彼らこそ第一優先に治療を受けられるようすべきである。しかし現実には、いともあっさりと司法に振られている。

 

精神医療の重要性

 

俺の仕事は第一に、つなげる先である医療機関(精神科病院)があって成り立っている。もはや誰も手を貸そうとしなくなった本人の「命」を、守ってくれる医師や看護師、職員の方々がいるということだ。それは、家族の命を救うことにもつながり、感謝と尊敬の念に堪えない。

俺自身、過去には対象者から刃物で刺され、凶器を振り回され、スレスレの現場もあった。それでも俺が「命」を落とさずに来られたのは、対象者の人としての優しい気持ちが、最後は俺を守ってくれたのだと思っている。

社会の変化、家族のあり方や他者との関わり方の変容も相まって、「ふつう」と言われる人たちでさえ、多大なストレスを抱えて生きている。自分自身もいつ何時、心のバランスを崩し、「命」の危機に陥るか分からない。精神医療、精神保健福祉行政の持つ役割は大きく、とりわけ最難関の難問を解決できるかどうかは、今後ますます重要視されていくだろう。

今後、日本の政治経済力が弱まれば、「きれいごと」一辺倒、助成金や補助金ありきの支援は、残念ながら淘汰されていく。最難関の治療や支援に取り組む専門家、専門機関だけが生き残り、正当な評価を得られる時代がやってくる。俺はそう予測し、確信している。

 

 

HELP

 

長く海外で暮らす方が、俺の仕事についてこう言ったことがある。

「海外では、『HELP』の声を上げない人は、極端な話、路上で倒れていようが困っていようが、自分の意思でやっていることとして、誰も手を貸さない。でも『HELP』の声を上げた人に対しては、全力で助けようとする。日本はそれ以前の問題で、『HELP』の声さえ、まだまだ上げにくい土壌があるのではないですか」

たしかに、俺のところに相談にくる家族は、最悪の状態ではあるが、すんでのところで子殺し・親殺しを思いとどまり、第三者に相談するだけの気力があった。俺の知人の例のように、「助けて」の声さえ上げられない、今この瞬間も命がけで生きている当事者、家族もまた、存在するのだ。

『「子供を殺してください」という親たち』の漫画は、実話がベースだ。誰の身近にもあるはずだが、オープンにされていないファクトを描いている。漫画家鈴木マサカズさんが描く「絵」の迫力も相まって、「怖い」「恐怖でしかない」という感想も多数いただく。

どうかその「怖い」「恐怖でしかない」という感覚を、日本中に隠れている「HELP」の声として、受け止めてほしい。作り話ではない、「誰かの置かれている現実」だということに、思いを馳せてほしい。その想像力を呼び起こせるのも、漫画ならではの力だ。

漫画で顔と名前を晒すことは、俺にとっては「メンドクサイ」ことでもある。実際、漫画の連載が始まってから、誹謗中傷や嫌がらせも増えた。世間様からフルボッコだ。最近は頭の毛も薄くなってきたが、漫画と同じヘアースタイルを維持するために頑張ってもいる。いろんな「メンドクサイ」を乗り越えてでも、隠れた「HELP」を伝えたい。俺の願いは、ただそれだけだ。

 

この漫画は、「命」を描いたファクトだ

 

地域移行・地域定着支援が進められる今、「命」の重みは、我々一人ひとりに委ねられている。家族に、近隣に、身近に、精神疾患により命の危機が迫る人がいたとしたら。 あなただったら、どう対応するのか。視線を逸らすのか。排除しようとするのか。それとも、実際に手を差し伸べることができるのか。

「国の対策は!?」「行政は何をしているのだ!」「専門家は何をしているのだ!」と声を上げるのも一つだ。どんなやり方にせよ、一人ひとりが、真剣に考えていかなければいけない。

今、日本の精神医療や精神保健福祉行政のあり方が問われ、揺らいでいる。俺自身はそこにブレはない。本人や家族の「命」に真剣に向き合うこと。答えはそこにしかないからだ。

皆さんもどうか漫画を手に取り、「命」について考えてほしい。