薬物使用障害からの更生~K子編~

以前、薬物使用障害からの更生について書いてほしいとコメントをしてくれた方がいたので、これまでに携わった事例を、何回かにわけて書いてみる。

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K子は、10代でクラブ遊びに目覚め、同時に違法薬物に手を出すようになった。短大を卒業後は、夜遊びと薬物の影響で昼間の仕事は続かず、水商売で日銭を稼ぎながら、夜毎クラブに通いつめた。大麻、LSD、MDMA、コカイン…手に入るものは躊躇なく、なんでもやったという。俺に助けを求めてきたときには、すでに薬物乱用歴は5年以上だった。

K子は「薬物をやめたい」と言って「本気塾」への入塾を望んだが、俺ははじめのうち、K子を突き放した。なぜならK子は当時、暴力団の構成員と交際し、結婚を前提に、何千万もする高級マンションを買わせてもいたからだ。K子が、その男や高級マンションを手放すとは思えなかったし、俺自身、そんな筋金入りの人間を更生させられる自信はなかった。

だが俺がK子を突き放そうとするほど、K子は「お願いします、見捨てないでください」と、すがりついてきた。「男とは別れましたから」と、涙ながらに訴えもした。(これはのちに、その場しのぎのポーズだったことが発覚するのだが…)

俺はなかば根負けし、K子と対話をするようになった。すると、違法薬物だけでなく、万引きなど幼少期からの度重なる犯罪や嘘、数も名前も思い出せないほど多数の男との無防備なセックスなど、K子が幼い頃から抱えてきた、あらゆる問題が明るみに出てきたのである。

 

その対話も、嘘と真実の繰り返しであった。K子がもっともらしく話していたことも、次第につじつまが合わなくなり、「さっき話したことは嘘です」と白状する。すべては、俺やスタッフの前で、自分を取り繕うための嘘だった。K子はまた、俺たちの前では、「更生したい」と真摯に訴えながら、陰ではクラブ通いや酒、タバコなど、薬物につながることをやめられずにいた。問い詰めれば「やっていません」と平然と嘘をつくK子に、何度、翻弄され、落胆したかしれない。

そんなK子だが、薬物に再び手を出すことだけは、しなかった。それは、K子の身体に、後遺症が如実に現れていたからでもある。指は動かなくなり、漢字を書かせれば造語を書いてしまう。物忘れもひどく、事務用品や弁当の買い出しなど、ちょっとした買い物すら失敗した。頬はたるみ、唇にも締まりがなくなり、気を緩めるとよだれが出る始末だった。

薬物を断ち、素の自分と向き合わざるを得なくなったとき、そこには、20代の女性とは思えないほど衰えた姿があった。そのときK子は初めて、薬物の恐ろしさを知ったのだろう。

 

俺は、K子を連れて彼女の地元を訪れもした。両親に事実を告白させるためだったが、K子の親は薬物のことはもちろん、幼少期から行っていた万引きや、高校時代の援助交際にも気づいていなかった。サラリーマンの父親と、専業主婦の母親。K子に習い事をさせられるだけの経済的な余裕もあり、身体的な虐待や、育児放棄があったわけでもない。ただそこには、「無関心」だけがあった。

K子の当時の友人にも会ったが、薬物でボロボロになったK子のことを本気で叱ったり、心から心配したりする人間は、いなかった。俺は心の底から虚しさを感じたし、さすがのK子もショックを受けていた。でもそのおかげで、K子は過去の人間関係を断ち切ることができた。

本当の意味でK子を助けるには、ただ薬物をやめさせればいいわけではない。薬物やセックスに依存せざるをえなかったK子の背景、心情を理解し、遵法精神や倫理・道徳観はもちろん、思いやりや愛情、人間としての喜怒哀楽…そういった「こころ」の部分を育んでいかなければならない。そこに思い至ったとき、俺もようやく、K子と本気で向き合おうと腹が決まった。K子もまた、「嘘をつかずに生きていきたい」と言うようになっていた。出会ってから、一年が経過していた。

 

K子は「本気塾」に入塾し、ほかの塾生との共同生活が始まった。仕分け作業などの肉体労働に就き、炊事や洗濯など身の回りのこともすべて自分でやる。早寝早起きの規則正しい生活を繰り返し、空いた時間は散歩に出かけたり、漢字検定の勉強をしたりと、ささやかな楽しみや努力に集中するよう、K子を指導していった。紆余曲折はあったものの、クラブ通いや男(セックス)への執着はしだいに薄れていった。

だが、ごくふつうの、言ってみれば平穏な生活が送れるようになるほど、K子の内面で、「他人の関心を集めたい」「注目を浴びたい」という、別の欲求が暴れ出すようになったのである。

ふりかえれば、K子が薬物に手を出したきっかけも、「ドラッグをやると、オープンな気持ちになって、誰とでも友達になれるような気がした」と語ったことがあるように、薬物(とくにMDMA)によって得られる万能感のとりこになったからだ。それにクラブでDJをしていたK子にとっては、薬物をやれば音や光に敏感になり、いいプレイができて、注目を浴びられたという。やがてK子は、クラブ遊びという“裏”の世界では飽き足らず、“表”の世界での地位や名誉を求めるようになった。

 

俺を訪ねてきたのも、俺が出ていた雑誌の記事を読んで、最初は「そちらの事務所で働きたい」と言って押しかけてきたのだ。俺がすぐにK子の薬物使用障害を見抜いたために、切羽詰まったK子は「薬物をやめて更生したい」と言ったのだ。「押川に近づけば、自分も地位や名誉を手に入れられると思った」と、K子はあとになって告白している。

「他人の関心を集める」「賞賛を浴びる」ことは、K子の生きがいだった。幼少期の親からの愛情不足が根底にあることはもちろんだが、その生きがいは成長とともに肥大化した。「社会的評価を受けている人に、認められたい」「能力のある人のそばにいて、自分もいい思いをしたい」と思うようになり、K子は薬物やセックスを武器に、企業の役職クラスの男や、著名なDJたちと交際を重ねてきたのだ。

 

薬物を断ったところで、根っこにあるその生きがいは、そう簡単には消えない。だが、薬物も金もセックスも使えない現実では、それが叶わない。ゆえにK子は感情的になり、たびたびヒステリーを起こした。

その結果、ささいなことで職場の人と諍いを起こし、仕事を辞めざるをえなくなったり、スタッフの目の届かないところで、ほかの塾生をいじめたりするようになった。あるいは、職場の人と親しくなるために、やたらと贈り物をしたがるなど、即物的な人間関係の築き方も、なかなか手放すことができなかった。

そのたびに、俺もスタッフも、夜通しK子の話に付き合い、職場でのトラブルには、一緒に頭を下げにも行った。場合によっては、K子を厳しく叱ることもあったし、人間としての成長はここまでか…と諦めたくなることもあった。

だが数年前に、正社員の仕事に就いてからは、K子なりに職場の人たちとの人間関係の築き方を考えるようになり、ほかの塾生に対しても、思いやりのこころを見せるようになった。

 

その後K子は本気塾を卒塾し、今はアパートで一人暮らしをしている。仕事に対してはかなり真面目かつ一生懸命で、人が嫌がるようなことも率先してやるため、職場でも重宝されているようだ。最近では、仕事に関する資格を、独学で勉強して取得したという。入塾した頃の、物忘れの激しかったK子を思い出せば、奇跡のようなことである。

一方でK子は、二度と過ちを犯さないために、自分を厳しく律した生活を送っている。生活リズムが崩れないように、テレビや音楽デッキは買わず、化粧も派手な服装も遠ざけ、酒も口にしない。残業や休日出勤は進んでやり、資格取得の勉強をしたのも、暇な時間を作らないためだと、K子は言った。職場の人とは、トラブルを起こさないために、あくまでも仕事上の、節度をもった付き合いを心がけているという。そして卒塾してからも、月に一度か二度は、スタッフに顔を見せに来ている。

 

K子は「働くこと」に生きがいを見出し、「仕事を通じて、誰かの役に立てるような人間になりたい」というのが、今のK子の目標でもある。

それは一見、素晴らしい目標だが、実は、諸刃の剣でもある。なぜなら俺からすれば、今現在のK子でも十分に職場の人の役に立っているし、社会の役にも立っていると思える。多少の自由になる金もあり、一般的にみても、なかなか充実した生活を送れているとも思う。だがK子には、現状にすぐに飽きてしまい、「もっと、もっと」と、より高いところを目指そうとする傾向がある。

30代後半というK子の年齢を考えたときには、いくら努力しても叶わないことや、諦めなければならないこともあるのだ。自分の現実と、「夢」や「希望」のようなものと、どう折り合いをつけるか…このさじ加減が、非常に難しいところではある。

 

薬物使用障害に打ち勝つまでの道のりは、たしかに苦しい。だが、薬物を渇望してしまう苦しさよりも、自分のどうしようもない生き様を省みることや、等身大の自分を受け入れることこそが、本当に苦しい作業なのかもしれない。多くの人はそれに負けて、再びラクな世界へと戻っていく。

そういう意味では、K子は過去の自分と真摯に向き合い、薬物を断った。それでも未だに、いろんな意味で「欲求」との闘いは続き、負けまいと、K子は必死で頑張っている。

だからこそ俺は思う。これからは、喧嘩をしながらも許しあい、なんでも語り合えるような友人をつくってほしい。自分ひとりでは受け止められないことも、分かりあえる相手が一人でもいれば、きっと乗り越えられるだろう。こころをゆるせる友人ができたときにこそ、K子は真に更生したと言えるのではないか。俺はそう思っているのである。