絶対貧乏したくない!

昨日のブログでも書いたように、

俺のところには、詐欺にあった被害者からの相談がよくある。

 

それも、「騙されて金をとられた」という単純なものではなく、

本人も気がつかないうちに、詐欺の一味に組み込まれていた、

というようなケースが、とても多い。

 

本意ではなかったとは言え、犯罪に加担していたことにもなり、

たしかに「被害者」ではあるのだが、「加害者」にもなってしまっている。

 

だからこそ足抜けしたいと思ったときには、

それこそ全てを捨てて逃げる、くらいの覚悟がいる。

 

俺のところに相談に来たひとたちは、

みんな二十代と若い。

だから助けてやらなきゃと思う一方で、

こんなに若くしてなぜ? という思いもある。

 

俺は彼らと話していて、一つの共通する特徴に気づいた。

それは彼らが口をそろえて

「絶対に貧乏だけはしたくない」

と言うのである。

 

子供のころによっぽど貧乏で苦労してきたのかな? と思って尋ねると、

親はサラリーマンで、金持ちでもないが貧乏でもなかった、と言う。

 

親元を離れてからも、仕送りやバイト代、奨学金などで、

贅沢はできなくとも、生活に困るような経験はしていない。

つまり、ごく普通の生活を送れてきているんだよな。

 

それでいて「絶対に貧乏だけはしたくない」と、

思い詰めたように、貧乏を恐れている。

 

あなたにとって、どういう状態が貧乏なの? と俺は聞いた。

すると、旅行に行ったり、遊んだり、美味いものを食べたりできない、

そういうときに「自分は貧乏だ」と感じるんだそうである。

 

「その貧乏を避けるために、いい大学に行き、大企業に就職した」

「安定した生活を手に入れた以上は、絶対に手放したくない」

 

彼らはみんな、同じようなことを言うのだけれど、

貧乏の基準も、ずいぶん変わったんだなあと、俺は思う。

 

だから、犯罪の質もどんどん軽くなっているんだろうな。

本当に金がなくて食べるものすらなくて、とか言うのではなく、

自分の余暇や遊び、欲求を満たすために他人を騙したり、

挙げ句の果てには殺したりしちゃう、ってことだもんな。

 

まあ、どちらも犯罪であることに変わりはないのだが、

俺のところに相談に来るような若いひとたちが、

騙されて、犯罪の片棒かつがされる時代になったのは、

なにか当然の結果、という気がする。

 

たとえば、上司から犯罪めいた裏仕事を命じられれば、

クビを切られたくない一心で、イエスマンやっているし、

ちょっとお金になりそうなうまい話(副業)にも、

簡単に乗っかっている。

 

俺は幸運なことに、若いときから、

国の中枢で働くひと、大企業のトップ、事業を大成功させたひと……

そういうひとと出会う機会がたくさんあった。

 

結果的に、大金を稼いだひとや、大金を持っているひと、

あるいは、代々の資産を受け継いできた生粋の金持ち、

そういうひとたちを見てきたことになる。

 

若いときは、すげーなと思ったり、

俺もしこたま金を稼ぐぞ!と影響を受けたりもした。

 

でもこの年になってみると、

そうやって大金を持っていたひとたちも年老いていき、

亡くなってしまったひともいる。

 

どんなに金持ちで華やかな暮らしをしていようが、貧乏だろうが、

最後はたった一つの命を燃やして、消えていくのは、みな同じである。

 

死んだあとには、家族や親族には金を遺せるかもしれないが、

他人様に遺せるのは、やっぱり「心」でしかない。

それを、俺は実感として理解できるようになった。

 

「絶対に貧乏だけはしたくない」

その執着に、「心」はあるだろうか?