俺が唸った! 名言 その6
「世界に昼があるから、バカでも受験勉強しなきゃならない。
全部、夜にしてしまえばいいんだ!!」
(押川剛 ※19歳)
自分の言葉を「名言」というのは、なんともアホ丸出しだが、
俺自身もすっかり忘れていた、19歳の俺が言ったことを、
この間、古い友人から暴露されて思い出した。
我ながらけっこう核心をついているなと思ったので、お付き合いください(笑)。
俺の高校時代と言えば、喧嘩をするか女の子と遊ぶか、そればっかりで、
一応、学校には通っていたが、勉強はほとんどしなかった。
放課後、繁華街なんかで遊んでいると、
進学校に進んだ中学時代の同級生に遭遇することがよくあった。
彼らは、いつも青白い顔をして、重~いオーラを放ちまくっていた。
県でもトップの学校に進学して、なんであんなに暗い顔しているんだろう?
毎日楽しいのかな? 自分の人生を生きているのかな?
俺は、そんな疑問を抱いた。
彼らの心理は、いくら考えてみてもよく分からなかったので、
「よし! 俺もいっちょ、大学に行ってみっか!」と思い立ったのである。
高校を卒業したあと、俺は小倉を離れて上京し、予備校の寮に入った。
そこは、入寮試験があるような大手予備校の寮で、
試験の成績が良かった俺は、入寮式で代表挨拶をまかされた。
しかし、寮生活は、いっそう驚くことばかりだった。
みんな毎日、朝から晩まで勉強、勉強。
お経のように参考書を繰り返し読んだり、書いたり。
俺が「ちょっと遊びに行こうぜ」とでも誘おうものなら、
「今日これをやらないと、俺はダメなんだッ!」と、顔面蒼白で怒鳴り返された。
ある寮生などは、おそらく精神疾患を発症していたのだろうけど、
「ウジ虫がわいている」と幻覚を見るようになり、
最終的に、親が迎えに来て退寮していった。
俺は猛烈な違和感を抱きつつも、昔から面倒見だけは良かったので、
いつしか、寮の相談窓口みたいな存在になっていた。
そしてあるとき、ほかの寮生をいじめるなど調子こいていた奴を、
俺は寮生代表として、正しくボコボコにしてやった。
それは救急車を呼ぶほどの騒ぎとなり、
保護者がわりの叔父が呼ばれて、俺はあえなく退寮となった。
その後、俺は、ワンランク下の別の寮に移った。
こっちは、入寮試験に落ちた奴らが集まる寮で、建物は古く、門限もない。
俺には快適そのものだった。
が、そんな寮でも、周りの奴らはシコシコ勉強している。
俺は相変わらず、寮を拠点に毎日遊びほうけた。
それでもたまに受ける模試では、そこそこの点数がとれていたので、
「俺みたいな天才には、大学側から『来てください』と言うのがスジだろー」
などと、だいぶ調子に乗ったことを言っていました(笑)。
ほかの寮生にしてみたら、いい迷惑だったと思うよ。
いっそ予備校なんかやめちまえば良かったんだけど、
どこかで、勉強ばかりしている奴らに反発する気持ちもあったんだと思う。
若い俺はムキになって、あえて、奴らと正反対のことに精を出していたのだ。
やがて大学入試のシーズンが到来し、寮内がいっそう重苦しい空気になったある日、
俺は、寮の自室の窓を全部、新聞紙と黒いゴミ袋で覆った。
俺自身は記憶がないのだが、
寮の友人が「たけし、何やってるんだ?」と聞くと、俺は、
「世界に昼があるから、バカでも受験勉強しなきゃならない。
全部、夜にしてしまえばいいんだ!!」
と答えたそうである。
そして俺は、24時間、外で遊びまくり、
寮に帰ってくると、その真っ暗な部屋で24時間、眠りまくる。
という生活に突入した。
おかげで、願書を提出していた大半の入試を受け損ね、
唯一、専修大学に受かった理由は、
試験の日に、友人が起こしてくれたからである。
俺はその後大学に入学し、中退してしまうわけだが、
大学進学や予備校での生活について、後悔はしていない。
受験や予備校での経験は、俺が今の仕事をするためのきっかけにもなったし、
大学では唐木先生という偉大な恩師や、
専修大学だからこその、人間味のある友人に出会えたからな。
それにしても、俺は若いときから頭がおかしかったんだな。
古い友人から暴露されて、改めて認識した。
こんなデタラメな俺と仲良くしてくれているひとのことは、大事にしようと思ったぜ。