スポットライト

「自分は今までの人生において、

スポットライトを浴びたことがない。

たぶん一生、浴びないまま終わるのだろうと思う」

というようなことを、俺に言った奴がいた。

 

ようするに、ひとから注目されたり賞賛されたりした、

華々しい経験がないと言うんだな。

 

大抵のひとが、「俺もそんなもんだぜ」と思うのではないだろうか。

 

だけどみんな、そんなことにいちいち思い悩んだりせずに、生きている。

それは、無条件にスポットライトを浴びた時期があったからだと、

俺は考えている。

 

まだ子供の頃……、両親や、じいちゃんばあちゃんあたりから、

「目の中に入れても痛くない」

「おまえのためなら死ねる」

なんて思ってもらっていた時期が、あったんじゃないだろうか。

 

これこそがスポットライトだし、

自己を肯定する礎になるんだよな。

 

しかし一方で、この“幼少期のスポットライト”の経験すら、

持ち合わせていない奴もいる。

 

たとえば、俺が「本気塾」で面倒を見てきた若い奴らは、

はっきり言って、みんなそうだ。

 

これは、いい暮らしをさせてもらったとか、

いい学校に通わせてもらったとかいう、

表面的なこととは関係ない。

 

「何があってもおまえのことは守る」

 

親から、そういう、言葉にできないような絶対的な思い…

“愛情”を、与えられた経験がないんだ。

 

「本気塾」以外でも、そういう奴はいっぱい見るね。

たとえば、仕事で知り合った、ある若い奴もそうだ。

 

こいつは、社会人としてはまだ新人さんなのだが、

仕事も、会社の人間関係もすでに破綻を来していて、

根暗なせいかプライベートも楽しくなさそうだし、

とにかくずっと、糸の切れた凧みたいにフラフラしている。

 

そんな感じだから、こころの拠り所が欲しいんだろうな。

俺の敬愛する二丁目のママの店にも、よく飲みに来ている。

必然的に俺もよく顔を合わせるから、

まあ、俺なりに面倒をみているつもりだ。

 

この間、ママが目をうるませて、俺に言うんだ。

 

そいつのスーツのサイドベンツに、

バッテンのしつけ糸が、ついたままになっていた。

ママが気づいて、「あんた、そのスーツ新しいの?」と聞いたら、

「前から着ています」と答えた。

 

それを聞いて、ママは言葉に詰まった。

だってそれって、そいつの周りには、

取り忘れたしつけ糸に気づいてくれるひとが、

誰もいないってことだからだ。

 

会社の人間のなかには、気づいた奴もいたはずだ。

わざと教えずに、陰で笑っていたのだろう。

 

たかがしつけ糸かもしれないが、

ママには、その寂しさが胸に応えた。

 

だけど俺からしたら、そいつには今、

そうやってこころを寄せてくれるママの存在がある。

 

俺も、できるアドバイスはしてきたつもりだし、

面白い大人たちとの酒の席があれば、そいつも呼んでいる。

みんな親身になって話を聞いて、本音で話をしてくれる。

 

それこそスポットライトの話で言えば、

今、人生で初めて、そいつにスポットライトが当たっているのだ。

 

残念なのは、本人にはその自覚があまりないってことだ。

ケツに火がついていないっていうか……、

まだ、のらりくらりしているんだよな。

 

真剣になるなら、今しかないぜ!

と俺は言いたい。

 

スポットライトが当たっている時間なんて、

しょせんはものすごく短いんだからさ……。