家族の絆だけじゃあダメなんだな

俺が昔、説得移送をはじめた理由の一つには、

「家族の絆を取り戻してほしい」という思いがあった。

 

病状が悪化し、第三者が間に入って医療につなげるしかない状況で、

下手をすれば、ますます家族の間に亀裂が入るかもしれない。

しかし俺はその状況を逆手にとり、家族が言葉で伝えられないことを、間に入って伝えてきた。

家族が本気で本人のことを心配している、想っているということ。

それを本人に理解してもらうためにも、説得という手段をとったのだ。

 

しかし今や、家族(親子)の関係は複雑かつ希薄になりすぎて、

俺が間に入って伝えるだけの愛情や、想いがないことが増えた。

そもそも親も本人も高齢化していて、

それどころじゃないってのが、正直なところだ。

 

そんなわけで途中からは俺も、「対家族」より「対社会」に目を向けるようになった。

つまりは「本人の居場所を見つける」「本人と社会とのつながりを作る」、

その方法をずっと模索してきた。

 

入院治療のあと、スムースにグループホームなどに移行できるケースはともかく、

家庭内暴力を伴う精神疾患や依存症など対応の難しいケースに関しては、

社会で居場所を見つけ、第三者とのつながりを作ることが、容易ではない。

 

なぜなら当の本人の意識が、「家族」や「親」にしか向いていないからだ。

(といってもその視線の先には、親の資産など即物的なものしかないのだが)

そこに、「社会」や「第三者」の視点は、ない。

 

このような対象者の家庭環境や生育暦を紐解いてみると、たいていにおいて

親が子供に家業を継ぐことを強要したり、親を喜ばせる生き方を強いたりしている。

「家族」に強いこだわりを持つように育てられたのだから、

いつまでも親兄弟に執着するのは、当然ともいえる。

 

そういう子供たちに、家族と縁を切って自立しろ、更生しろと言ったところで

すんなり聞くはずがないのである。

 

だけど俺が諦めずに、彼らの自立や更生に携わっているのは、

家族にしがみつく生き方なんて、楽しくないし先がないと思うからだ。

順番から言えば、親は先に死ぬ。

兄弟姉妹は、自分の生活に手一杯で、面倒なんてみてくれない。

最悪の状況下では、家族の絆も、もろくてあっけないものなのだ。

 

だからこそ、社会で居場所を見つけ、第三者とのつながりを持とうぜ、と俺は言っている。

これをもっと端的に言ってしまうと、

「社会で生きるひとたちから、好かれる人間になりましょう」

ということなんだな。

 

いくら病気を患っているからと言って、常に

「自分のことを優先してくれ」「わがままを聞いてくれ」「何から何までケアしてくれ」

という態度では、他人を「身内化」しようとしているにすぎない。

周りから敬遠されるのも、当たり前である。

 

ちなみにこれは、本人だけでなく、親にも言ってやりたいことだ。

このような子供の親に限って、まったく同じ行動をとっていたりするからな。以上!!