不確定要素満載!!

ひとのこころの動きや言動を、正確に予測することなんてできない。

ごく普通に生きている人間同士ですらそうなのだから

問題を抱えるひととなったら、なおさらだ。

 

だから俺の仕事は、常に不確定要素だらけ、と言える。

 

一つのケースにとりかかる前には、

家族からもじっくり話を聞くし、

そのうえで、これまでの経験と知恵を総動員して、

起こりうる様々なことを予測する。

 

そうやって万端の準備をして臨んでも、

実際に着手してみたら、まったく違った事実が出てくる。

そんなことは、日常茶飯事だ。

 

親も知らなかった、という場合もあれば

親が俺たちに対して意図的に隠していた、という場合もある。

 

そのとき、その場でどれだけ素早く軌道修正し、

危機管理やコンプライアンスに則った対応をとれるか。

その部分こそが、この仕事の醍醐味でもあり、

人間力を試されているなあ! と思うところでもある。

 

これは、子育てにおいても同じなのではないだろうか。

 

子供が親の思うとおりに育つことなんてあり得ないし、

親がおったまげるようなトラブルを抱えることだってある。

 

しかし、子供がおかしくなる家庭の親というのは

最初からこの不確定要素の存在に、目を向けていない。

 

自分(親)の言うことを聞いて育てば、

間違ったことなど起きないと信じて疑わず、

「子供のため」と言いながら、自分の価値観を強要する。

 

だからこそ、子供が反発したり道をそれたり、

心の病気になったり、トラブルを抱えたりしたときには、

親自身がパニックになり、まともな対応がとれない。

ひどい親になると、その時点で子供を見捨てるような対応に終始し、

親子の関係をぶったぎってしまう。

 

不確定要素の存在に目を向けない子育ては、

言ってみれば、親の都合でしかない子育てである。

 

では、子供の不確定要素に、どう向き合うか。

これは俺の仕事と同じで、どれだけ「真実」「事実」を把握しているか?

これに尽きるんではないかと思う。

 

子供が何を考えて、どこで何をして、

どんな人間関係をもって生きているのか。

 

何でも率直に話し合える親子関係であればベストだし、

子供が話をしてくれないとしても、知る方法はいくらでもある。

 

学校の教師や、子供の友人の親同士で連絡を密にしたり、

ときには子供部屋に入っていろいろ見たり

子供の長電話に聞き耳をたてたり、スマホやパソコンをのぞいたり……

全部、親だからできることである。

 

子供が精神疾患だというのならば

病名や病状、服薬の有無や、通院先、主治医の名前など

基本的な情報は把握し、記録をとっておく。

 

手と口は出さないけど、目だけは光らせる。

その積み重ねがあってこそ、子供の不確定な出来事に対して、

びしっと言ってやれる言葉も出てくるのである。

 

もっとはっきり言っておくとだな、

これだけプライバシーだの個人情報だのがうるさい時代に、

そのやり方で子供を守れるのは、親しかいないのだ!!