受験戦争

以前、『「脱施設化」欧米の現実』というブログで書いたが、

アメリカでは、今年上半期(6ヶ月)の間に、

錯乱状態にあり、警察官が射殺した全体人数の4分の1(124人)に、

実は、精神疾患の疑いがあったという(ワシントンポストの記事による)。

 

先日、長いことアメリカで生活している日本人で、

世界情勢にとても詳しい方に、この件について尋ねてみた。

 

その方の実感では、射殺された中で精神疾患の疑いがあった人の割合は、

4分の1ではすまないのではないか? ということだった。

 

錯乱状態にある対象者の中には、退役軍人がけっこうな数を占める。

戦争体験により、PTSDを発症していて、

「殺される」という被害妄想や、敵の姿が見えるといった幻覚に、苦しめられている。

 

アメリカでも、そういう状態に陥ったときには、

家族や周囲のひとは、警察を呼ぶしかないのだが、

なんといっても相手は、訓練を重ねた軍人である。

武器の扱いにも慣れている。

 

駆けつけた警察官にとっては、身の危険を感じるため、

少しでも怪しい素振りが見られれば、即、発砲に至る。

 

そういう事実が、身近に転がっている、というのだ。

 

日本は今のところ戦争には参加していないし、銃社会でもない。

しかし俺はこの話を聞いて、「受験戦争」という言葉を思い出した。

 

俺が予備校に通っていたのは、1987年(昭和62年)頃で、

受験戦争もだいぶ落ち着いた頃だといわれている。

 

それでも、すでにこころを壊しながら、勉強をしている奴や、

プレッシャーからノイローゼになってしまって、途中で故郷に帰っていく奴、

そういう奴が、ごろごろいたのである。

 

試験日が近くなると、頭に「合格」のハチマキ巻いた予備校生が一堂に会し、

こぶしを突き上げて「絶対合格!」とかシュプレヒコールしたり……

 

本物の戦争と比べることなどできないけれど、

当時の「受験戦争」も、なかなか凄い光景だったと思う。

 

今もときどき、あのとき、ノイローゼになっていた奴ら、

元気でやってるのかなあ…と、思うことがある。

 

ひきこもりの高齢化は、ずいぶん前から問題視されていたことだが、

ダイヤモンド・オンラインの記事によると、

 

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(以下引用:ダイヤモンド・オンライン 11月5日)

 

(山梨)県内の「ひきこもり」該当者のうち、40歳以上の占める割合は6割を超えるという衝撃的なデータが、山梨県の調査で明らかになった。

 

このところ、山形県や島根県でも、40代以上が半数を超えるという同様の調査結果が相次いで発表されており、引きこもり状態にある人たちの高年齢化の傾向は、ますます進んでいることが改めて裏付けられた格好だ。

 

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ということらしい。

 

皆がみな、受験がきっかけで、ひきこもりになったわけではないが、

同世代の俺からすると、あの頃の、

「高学歴さえ身につければ、すべてがバラ色」というような、

短絡的な社会の空気が、少なからぬ影響を与えたはずだ。

 

「受験戦争」は、今ではあまり聞かれない言葉だが、

今度は、より幼い子供たちをターゲットにした、

「お受験」が幅を利かせている。

 

その子に、本当に伸ばすべき能力があってのことなら、

よけいな口出しはできない。

 

が、数々の壊れた家族を見てきた俺からすると

親や、周囲の希望で、子供に「お受験」を強いることは

ギャンブルをやるようなもんである。

 

当たるかもしれない。当たったらでかいかもしれない。

だけど、はずれる可能性だってある。

 

はずれたときの損失は、お金の話ではない。

「子供のこころが壊れる」というマイナスだ。

 

受験での敗北が、本人の人生を狂わすだけでなく、

家族の人生をも狂わせることさえ、ある。

命の奪い合いと化しているケースだって、俺は見てきた。

 

だから俺は、血眼になって、子供の「お受験」に参加し、

鼻息を荒くしている親を見ると、「受験戦争」の言葉を思い出し、

本物の戦争と同じくらい、ゾッとしてしまうのである。