精神障害者移送こそ、クリエイティビティな危機介入なのだ!

基本的に専門家がその能力を遺憾なく発揮できるのは、「整えられたもの」に対してではないだろうか。とくにメンタルヘルスの分野に関しては、精神保健福祉法に則ったルールがあり、人権や意思の尊重をより求められる。だからこそ多くの専門家は、本人の意思で病院を受診している人に関しては手厚い医療や支援を授けられるが、病識のない人、精神科での治療を拒んでいる人には、ルールや人権といった縛りにしばられて、手を差し伸べることができない。

俺は、精神障害者移送サービスは、「危機介入」だと思っている。実際のところ、病識がなく医療を拒んでいる患者に関して、家族が「さすがに病院に連れて行かなきゃ」と重い腰をあげるのは、自傷他害の恐れがある、つまり重症化してしまったときがほとんどである。

そして、各分野の専門家の中でもっとも「危機介入」に特化した専門の訓練を積んでいるのは、警察官だ。だから今では、メンタルヘルスに関することでさえ、「何かあれば110番通報を」と言われてしまう。

だが基本的に警察は、事件が発生しない限り動けない。とくに家族の問題には、民事不介入という大原則がある。そして、対象者を医療につなげるにしても、精神保健福祉法第二十三条(警察官通報)という、定められたルールがある。警察官が自分たちの判断で勝手に精神科病院に連れて行けるわけではないし、そのようなことを世論がゆるすはずがない。

そういう意味では、メンタルヘルスの危機介入においては、危機管理やコンプライアンス遵守、コミュニケーション等の専門的な訓練を積んできた専門家がおらず、完全にエアポケットになっている……というのが、俺の印象である。

俺は、精神障害者移送サービスという業務に基づき、「危機介入」に長く携わってきたわけだが、今になって思うのは、この「危機介入」こそ、非常にクリエイティビティを求められるということだ。クリエイティビティを俺なりに解釈すると、「人間味、人間力、人間臭さ」=「説得」ということになる。

本人の意思を尊重し、人権をまもるためには、家族からのヒアリングだけでなく視察・調査が必要だ。その結果をもって、保健所や医療機関をコーディネートし、保健所からの要請で警察に協力を仰ぐこともある。俺がおこなう「精神障害者移送サービスは」、その家族、対象者によって異なり、一つとして同じやり方はしない。

説得にしても、相手がどのような人物かによって、服装や身につける物さえ変える。刃物でも持っている相手なら、ヤクザみたいな格好もするし、女性の患者さんに会うときは、俺にできる精一杯ではあるが、さわやか系の服装を選んだりもする。当然だが、話す内容、言葉の一つ一つにも相当な気を配り、全身全霊で対峙する。それが結果的には、相手とのヒューマンなやりとりにつながる。

移送だけの依頼であっても、本人が退院後に適切な支援が受けられるよう、事前の視察・調査で得た情報は、管轄の行政機関と病院に、資料として提出する。家族と病院の許可が得られれば、面会にいくこともある。業務には関係なく、「お見舞いに行きたいから行く」という、俺の気持ちの部分である。これは、俺が資格も肩書きも持っていないからこそ、自由自在にできる部分でもあるだろう。

俺がおかしいと思うのは、この「危機介入」=「精神障害者移送」というもっとも重要な部分、クリエイティビティが発揮されるべき部分に関して、「強制拘束」の風潮が未だはびこっていることである。たとえば精神保健福祉法の第三十四条(医療保護入院等のための移送)は、強制拘束が前提とされているし、民間の移送会社には、金額を安くする代わりに、有無を言わせず強制拘束を行っている会社も少なくない。

そして今では、保健所や行政機関、医療機関が、相談に訪れた家族に対して、それら強制拘束をする移送会社を教え、利用を勧めているのである。なぜこのような状況が放置されているのか、俺は不思議でならないのだが、これもまたエアポケット、究極のグレーゾーンだからこそ、できることなのだ。

俺がこの仕事をはじめた20年前から、「精神障害者移送」というと=「闇仕事」のように思われて、公の議論の俎上にさえ乗せられずにきた。しかし、地域移行が進められ、精神疾患に起因する事件や親族間殺人が頻発している今、「精神障害者移送」を行政や自治体がどうおこなうかこそが、重要な議題となっている。これは、俺が二月に賢者たちの会議に参加したときにも感じたことだ。

「精神障害者移送」は、ただ患者さんを医療に連れて行く業務ではない。クリエイティビティを求められる「危機介入」であることを改めて認識し、制度を考えていく必要がある。