母親逮捕 長男の首に電気コード

 

生後6か月の長男を殺害しようとしたとして、22歳の母親が逮捕された事件があった。幾つかニュースを見たが、母親は子育てに悩み、市の臨床心理士と面談、医療機関を受診するよう勧められていた。また、母親は、臨床心理士に対して、「子供に手を出してしまいそうだ」とまで言及していたそうだ。

 

母親自身が、二度も行政に相談をし、精神疾患(育児ノイローゼ)の疑いがあると判断され、医療機関の受診を勧められるところまでいきながら、なぜ、幼い子供を殺めるに至ってしまったのか。

 

これまでにも、当ブログで書いてきたことだが、今は、どこまでいっても「本人の意思」が尊重される。たとえ「子供に手を出してしまいそう」なレベルにあっても、「本人の意思」がなければ、医療につなげることができない。

 

しかし、精神科への受診勧奨が必要となった時点で、相手は、正常な判断力を失っているとみなすべきだ。中には、未だに精神科への偏見を持っている人もいるから、自分の意思では、なかなか踏み出せないところもある。俺は、仕事を通じて毎回、思うが、緊急事態が差し迫っているときに、「本人の気持ちを尊重して」なんて綺麗事を言っていては、「命」を助けることなど、できない。

 

川で溺れている人間に対して、

「助けましょうか、どうしましょうか?」

「どんな救出方法がいいですか? ロープですか、ボートですか?」

と、聞いているようなもんである。

 

誰の責任かという、犯人捜しをしたいのではない。今は少子化対策もあり、市区町村ごとに、子育て支援に力を入れていることは確かだ。

 

それでも、子育てに悩む親が、子供の命を奪う。そういう事件が、いくつも起きている。しかも、少なからず周囲が危機を察知しながら、防げていない。それはなぜか?人間の「命」に対する危機管理よりも、「本人の意思を尊重する」という大義名分のもと、結局は、マニュアル優先の対応になってしまっている。そのような現場の体制こそが、問題なのではないか。

 

俺が尊敬している精神科医が、こんなことを言っていた。

 

対象者が「殺す」「殺すかもしれない」と言語化した場合には、「もはや実際にあり得ること」と考えて、対応すべきである。最悪を想定してこそ、迅速かつ適切な対応がとれる。

 

たしかに、俺自身も、いつも感じていることだが、対象者に、「死」を匂わせる兆候があらわれてからは、事件化へのスピードが、加速度的に速くなる。「明日、確認してみよう」「もう少し様子をみてみよう」という危機管理の低さは、取り返しのつかない事態を招く。

 

今回の件にしても、母親の言動をより重く受け止めていたら、児童相談所と連携して、早急に子供の安全を確保したあとで、母親(やその家族)に対して、粘り強く医療機関への受診を勧める、といった対応も、とれたはずである。この母親に必要だったのは、たんなる子育て支援ではなく、まさに「グレーゾーン」問題としての包括的な対応であった。

 

SOSは、拾い上げてこそ、功を奏す。俺も含め、精神保健の分野に携わるひとたちは、ひと様の「命」という重責を担っていることを、肝に銘じなければならない。