「小説すばる」に書評掲載

月刊文芸誌「小説すばる」9月号の新刊レビューに、書評家の東えりかさんが、

拙著「『子供を殺してください』という親たち」の書評を書いてくださった。

 

思い起こせば15年前、処女作である「子供部屋に入れない親たち」の出版時には、

俺の仕事自体を、大手週刊誌から劇的に糾弾された。

 

しかも原稿の内容を著名な作家に盗作され、それが直木賞候補にもなった。

版元が同じだったこともあり、「子供部屋~」は、増刷が叶わなくなった。

実は「子供部屋~」は、発売即、重版が決まるほどの売れ行きをみせていたのだが、

版元が「刷らない」と言ったら、それまでなのだ。

 

著名な作家より、無名な俺のほうが、あっさりと切り捨てられたのである。

 

誰が原稿を流出させたのか等、だんだん明らかになってきて、

知り合いの記者の中には、「出版業界では決してやってはいけないこと。

それこそ刑事事件を犯したようなものですよ」なんて教えてくれる者もいた。

 

俺の悔しさは、想像に難くないだろう。

何年もかけて、俺が命がけで経験したことを書いた作品を

盗作されたあげく、俺の本はないものとされたのである。

 

俺は怒り狂って、その作家に対し、訴訟を起こすと息巻いた。

しかし俺の顧問弁護士である西幹先生は、こう言って俺を諭した。

 

「相手を訴えたところで、押川君が無名である以上は、

たんなる売名行為としかみなされませんよ。時間が経てば、自ずと結果は出ます。

あなたはまだ若いのだから、今は辛抱しなさい」

 

俺はすっかり苦境に立たされた思いで、腐っていた。

まだ若かったこともあり、「訴訟を起こすな」という

西幹先生の真意も理解できず、不服を抱いてもいた。

週刊誌に叩かれたおかげで、半年間ほど、仕事の依頼も来なかった。

 

しかし先生のいう通り、時間が経つにつれて事態は自ずと明るみに出た。

俺は訴えなかったが、この作家はほかにもいろいろと無断引用を行っており、

ほうぼうから訴えられて、公に認めることになったのだ。

 

その後、「子供部屋~」は別の出版社から文庫として出版され、

ほかにもいくつか執筆のチャンスをもらったが、鳴かず飛ばずで終わっていた。

 

そして最後に書いた著書から10年が経ち、

今回、新潮文庫から新たに、著書を出すことができたのは

なにかと揉め事の多い俺と、10数年以上も付き合いを続け、

「本を出そう」と言い続けてくれた唯一の担当編集者、

新潮社の佐々木勉氏のおかげである。

 

執筆には、一からのスタートというような、清々しい気持ちで臨んだ。

10年間、現場で見て聞いて感じて考えたことを、できるだけ詰め込んだ。

文庫書き下ろしにしたのは、多くの読者に低価格で、手にとってほしかったからだ。

 

このような経緯を経て、出版に至ったのが、

「『子供を殺してください』という親たち」なのである。

 

この本に対して、権威ある文芸雑誌に、しかも著名な書評家である東さんから

書評を頂いたことは、素直にうれしい。

東さんは、この問題の時空間を意識した書評を書いてくださっている。

ブログ読者の方にもぜひ「小説すばる」9月号を手にとっていただきたい。

 

shohyo

 

さて、現在俺は、新潮文庫書き下ろし第2作の執筆に取りかかっている。

こうして書評をいただいたことを励みに、また一段と魂を込めて、書き上げる覚悟だ。

なんたって、10年も執筆をお休みしていたからな!

書きたいことは、まだまだ、まだま~だ、あるのだ!!

 

そして、これまで公的な場では「ジャーナリスト」と紹介されることが多かったが、

今後は堂々と、「ノンフィクション作家」押川剛と名乗っていこう。

肩書きなんかいらない、とさんざん言ってきた俺だが、

これは執筆をする際の、俺の気分の問題だ(笑)。

 

明日はちょうど大安吉日だし、

明日から「ノンフィクション作家」押川剛の誕生だ!!

 

表紙    押川チラシ