危機管理の感覚

通り魔事件だけでなく、男女間のもつれや近隣トラブルにしても、

いとも簡単に命を奪われるような事件が、相次いでいる。

 

加害者側が、殺害に至った理由をもっともらしく述べたり、

被害者にある原因(落ち度)を主張したりすることもあるが、

第三者からみれば些細と思われる出来事であることが多い。

 

それだけ、「刑法に抵触する」行為へのハードルが、下がっている。

 

親自身の倫理道徳の欠如が顕著に感じられる昨今、

当然といえば、当然である。

 

加害者を正常か異常かで判断することは難しいが、

法を犯すか犯さないか、その差は大きい。

そこをいともあっさりと乗り越えてしまえる人物に対して、

一般のひとは、どう対応していけばいいのだろうか。

 

凶悪な事件を起こしかねない人格の持ち主として、

「サイコパス」や「反社会性パーソナリティ障害」の名称がよく挙げられる。

これらの精神病質を解説した書物は、世の中にあふれている。

 

しかし、理論や理屈をいくら勉強したところで、

遵法精神の欠如した、危険な人物を見分けられる目を、養えるわけではない。

 

だからこそ、相手が醸し出している空気や雰囲気から

いかに危険度を察知するか、その感覚こそが求められる。

 

じゃあ、どうやってこの感覚を身につけるか。

俺はやはり、シンプルな生き方にこそ、そのヒントがあるように思う。

 

とにかく今は、あらゆる情報があふれている。

その中には、むやみやたらと欲求を刺激し、

一方的に感覚を麻痺させるようなものも、多く含まれている。

 

それらの取捨選択を自分でせずに、

ただ「楽し~」なんてノリで受け取ってばかりいると、

深く考えたり、腹を決めて何かを決断したり、

そういう時間も、気持ちの余裕も、失われていく。

 

考えぬいて答えを出す、ということをしなくなれば、

他人の一言、些細な出来事にまどわされるようにもなる。

感情は簡単に揺れ動き、不安定な精神状態に陥る。

 

その状態で、人や物事に対する感覚……

「何かヘンだぞ」と感じるアンテナが、立つわけがない。

 

俺の本業である家族の問題に置き換えても、まったく同じことが言える。

家族(子供)の起こすトラブルに困り果て、あちこちに相談に行っているのに解決しない、

そういう家族ほど、「何とかしたい」と言いながらその実態は、

「仕事も大事、プライベートも大事、あれもやりたいこれもやりたい……」

と、たくさんのものを抱え込んでいる。

 

それでは、本人の微妙なこころの動きを捉えたり、

事件や事故の予兆(サイン)に気づいたりも、できないだろう。

 

別に、子供のために何もかも捨てろ、と言いたいわけではない。

「この一年は、最低限、食べるための仕事はするが、

あとの時間はすべて、この子のために全力投球してみよう!」

というような、シンプルな覚悟のできている親が、本当に少ないのだ。

 

シンプルに生きる。

これは俺が現時点で思う、無用なトラブルに巻き込まれない生き方だ。