親の金勘定

「たとえ親子であっても、金勘定は別」

ここ数年は、そういう家族を目にすることが増えている。

 

たとえば、俺の前では「子供を助けるためなら命も惜しくない」

くらいのことを熱く宣言するのに、

いざそのために金がかかると分かると、別人のように冷酷になる。

そんなに金がかかるならもういいや、とばかりに、

子供を切り捨てる方向に走るのである。

 

もちろん、無い袖はふれないし、親にだって生活があるのだから、

何が何でも金をかけろと言いたいわけではない。

ただ、その変わり身の激しさに、俺は驚いてしまうのだ。

 

しかし、このような家庭ほど、超金持ちとまではいかなくても

経済的には余裕があり、傍目からみてもいい暮らしができている。

それを考えると、「たとえ親子であっても、金勘定は別」

というくらいの冷酷さ、シビアさがなければ、今の時代、

金を稼ぐ(貯める)ことはできないのかもしれないな…と思ったりもする。

 

だけど、この「金」を挟んでの二面性、冷淡さこそが

子供をおかしくする要因であることも、間違いない。

 

このような、経済的に多少の余裕のある家庭ほど、

親子関係が(表面上)うまくいっているときには、

子供の進学費用などにも、惜しみなく金を出す。

 

しかし、親はその見返りとして

「その金で立派に学問をおさめて、卒業後はいい会社に就職して

ゆくゆくは親に恩返しをしてくれよ」

という思惑を持っている。

なんていうか、「投資」みたいな感覚なのだ。

 

実際に、俺が知っている若い奴なんかは、

親から進学費用を出してもらう際に、

「これは利子なしの借金みたいなもんだからな」

と、念を押されたそうである。

 

そこまではっきりと告げていなくても、

親の金勘定は、間違いなく空気で子供に伝わる。

子供にしてみれば「借金」を背負わされた気持ちだ。

 

また、別の若い奴は、大学を卒業後、

親があまりにも人間としておかしいことに気づき、

距離を置こうと決別宣言をしたところ

「お前を育てるのにいくらかかったと思っているんだ」

「これまでにかかった金を返せ」と、さんざん言われたそうである。

(ちなみにこの彼は、大学の学費は奨学金でまかない、自分で返済している)

 

このような親のもとに生まれた子供ほど、

いつまでたっても「金」に執着する。

自分の身体や脳みそ一個で稼ぐならまだしも、親や他人に依存し、

ひどいときには、それが違法行為にまで発展することもある。

親の代からの因果応報と言ってしまえばそれまでなのだが、

その業の深さには、空恐ろしいものを感じる。

 

そして、こういう家族を見るたびに、

俺は「幸福」というものの定義を考える。

 

金が潤沢にあっても、幸福にはみえない家族がいる。

金がなくてカツカツの生活をしていても、幸福な家族もある。

綺麗事と言われるかもしれないが

それは紛れもない真実なのだと、俺は思っている。