100か0か

俺の幼なじみに、ものすごく仕事のできる男がいる。

何の仕事をどのようにやっているのかを詳しく書くと

営業妨害になりかねないので、そこは省略するが、

まあ、俺と同じような最前線の現場仕事だ。

 

その中でもちょっと特殊な能力を要する分野に携わっているのだが、

実力は、日本でも三本の指に入るのではないか、というお墨付きである。

 

彼は、子供の頃からとにかく身体能力が高かった。

 

俺がよく覚えているのは、ガキの頃、みんなで遊んでいたときに

近所のドブ川に渡してあった細いパイプ管を、

つま先立ちでスルスルっと、渡ってしまったこと。

パイプの幅は2センチくらいだし、川からの高さもけっこうあって、

子供でも、落ちたらやばいな……と分かる代物だったんだけど、

そいつは躊躇もなく、あっという間に渡りきり、

ドブ川の向こうでニコニコしながら

「お前らも早く来いっちゃ!」と手を振った。

 

「行けるわけないやろ!」と全員が叫んだことは、言うまでもない。

 

それから剣道がものすごく強くて、全国大会の常連だった。

俺も、途中で部活をやめるまでは、一緒に練習していた。

 

今でも忘れられないけど、いつだったか大事な大会の決勝戦、

試合直前になって、そいつは体力も気力も限界を迎え、

目は霞んで見えず、耳もよく聞こえない状態に陥った。

 

もはや勘で試合をするしかなくなってしまったんだけど、

試合コートのラインを踏んで何回か場外に出てしまったら、

一本取られて負けになる。

 

それで彼は、俺に言った。

「たけっちゃん! たけっちゃんの声なら聞きとれると思うけえ、

ラインを踏みそうになったら教えてくれ!!」

 

その形相は、鬼気迫るものがあった。

たかが学生の大会でも、こいつは命がけなんだ!

と、俺はものすごく感動して、全身が震えた。

同時に、どうひっくり返っても俺が剣道でこいつに勝てることはねえ! と悟った。

それもあって、その後すぐに剣道をやめてしまった。

 

ちょっと話が逸れたが、そういう男だから、

頭はあんまりよろしくなかったけど(笑)、それなりの会社に就職できて、

仕事でも結果を出しつづけている。

 

で、先日そいつと一緒に飲んでいたときに、同席していた俺の知り合いが、

「どうやったら、そんなふうに結果を出せるんですか?」と尋ねたんだ。

 

そしたら彼は言ったよ。

「俺はいつもクビになる覚悟で仕事をしている。それだけ」

 

どんな仕事でも、組織である以上、規則やルールがある。

最近はとくに、どこもコンプライアンスに関して異常なまでにうるさい。

そういう中で彼は、自分の経験と勘をたよりに、

「ここは勝負に出なあかん!」と思ったときには、規則もルールもぶち破る。

そうしないと、真の解決は得られないし、結果も出ないからだ。

 

そのときに何の覚悟がいるかといえば、

これで会社をクビになってもしゃあない、という覚悟でしかない。

つまりは、100か0かの勝負なのである。

 

こいつはやっぱりすげーな! と俺は思った。

 

たしかに彼は特殊な能力を持っているが、

特殊なだけに、つぶしが利くようなものではない。

組織にいるからこそ、能力を発揮できる。

それは、彼自身もよく分かっているのだが、

それでも、「クビになってもしゃあない」と覚悟を決められるのだ。

 

俺には、彼の言いたいことがよく分かった。

俺だって、組織には属していないけど、精神保健分野の仕事をする以上は、

行政や医療機関などのルールに、がんじがらめにされている。

テレビに顔を出している分、面白おかしく叩かれる可能性もある。

 

だから毎回、業務の大一番の前には、

「これで失敗したら、この仕事から足を洗うしかねーな」

と覚悟を決めている。

 

もちろんこれは、結果を出すためなら法律違反をしてもいいとか、

自分の利益のために、規則やルールをねじまげていい、と言っているのではない。

 

ただ、犠牲なくして得られるものなんて、ないんだよな……と、

幼なじみの言葉を聞いて、あらためて思ったのだ。

 

彼は、何度も勝負に出ては危ない橋を渡っているが、クビにはなっていない。

ということは、今のところ勝ち続けているってことだ。

その絶妙な勝負勘、バランス感覚は、おそらく

スポーツで嫌というほど「勝負」を経験してきたことにより、

培われたのではないかと、俺はふんでいる。

 

その彼が、俺に向かって言う。

「たけしくんこそ、子供の頃からホントに勝負強かったよなあ!」

 

そうなのだ!

俺は剣道をやめた代わりに、独自のやり方で勝負ばかりこいてきた。

それについて書きはじめるときりがないので、またの機会にするが、

実はこの、100か0かの勝負の経験を積むことは、

どんな生き方、どんな仕事をするにしても、必要じゃないかと思っている。

 

生きている間には絶対に、「ここは勝負に出なあかん!」という瞬間が、

幾度となく訪れるのだから。

 

全戦全勝というわけにはいかない、負けることもある。

でも、どこか勝負どころかの自覚もなく、場当たり的にその瞬間を迎えるのか、

やったるど! という意気込みで勝負に向かうのか。

それだけでも、大きな違いが出てくると思うんだな。