いつまでもあると思うな、親と金

専門家など第三者に、家族の問題に介入してもらうことや

当事者が第三者とつながることの難しさは、語らずとも想像がつくだろう。

 

でも俺は、難しいからこそ、やりがいがあると思っている。

 

反対に、家族に頼る、依存するという行為は、とても簡単だ。

 

暴力をふるったり暴言を吐いたり、他人には容易にできないことなのに、

家族が相手となると、なんのハードルもなくやってのける。

 

「身内なんだから」のひと言で、金や物をよこせ! と言えてしまう。

 

相手が一番傷つく言葉を知っていて、

それを容赦なくぶつけてくるのも家族や身内だ。

 

言ってみれば、いつでも「ノールール」状態になれるからこそ、

こじれてしまったときには、収拾が付かなくなる。

 

だが、そこに第三者という他人が介在したときには、

家族も当事者も、ノールールというわけにはいかなくなる。

 

法律や倫理・道徳を遵守することはもちろん、

多少の嫌なことがあっても、我慢しなければならない。

協力を得るためには、頭を下げなければならないし、

自分や家族の能力の限界を知り、無力感にさいなまれることもあるだろう。

 

でもそれって、潤滑な人間関係を育む上では、至極当然のことだ。

そういった経緯があってはじめて、信頼関係を結ぶことができる。

 

「いつまでもあると思うな、親と金」

これは、最近、俺が携わった男性が、ノートに書き付けていた言葉だ。

 

彼は精神疾患を患い、かろうじて通院はしていたが、

日常生活においては、親を奴隷化し、すべて依存して生きてきた。

これから先も生涯、家族(親)にすべて面倒をみてもらおうと算段してきたが

心の奥底では、いずれ限界がくることに気づいていたのだ。

 

だから、通院して服薬をしていても、精神状態は悪化の一途をたどり

将来を憂いた親が、俺に相談にきたのである。

 

家族以外の他人との接触を、長らく拒んできた彼だが、

それでも、俺にはこう言った。

 

「気の合う友人や、信頼できる人、

そういう人がいれば、人生が変わるような気がする」

 

彼自身も変わってゆかなければ、それを成し遂げるのは難しい。

しかしその言葉は、偽らざる本音だと思う。

だからこそ当事者家族は、本人と第三者の縁をつなぐことを、諦めてはいけない。

 

1人の力では、10分の1の役割しかできなくても、

10人集まれば10の力になる。

 

俺自身も、この仕事に限らず、

誰かにとって気の合う友人、信頼できる人間、なんでもいいけど、

少しくらいはこころの穴を埋められる、そういう人間でありたいと思う。