会話力

昨日のブログのコメントに、

「相手の心をつかむ会話方法を教えてください」

という質問があった。

 

この間俺がつらつらと考えていたこととかぶるので

答えになるか分からないが、書いてみる。

 

俺は本業で、「患者さんを説得して医療につなぎますよ」とアピールしているし、

名刺の裏にも、「説得」とわざわざ印字している。

 

「説得」と言われると、おそらく多くのひとが

=ロジカルな会話で相手を納得させて行動をとらせる、

という感じを、想像すると思う。

 

俺自身も若い頃は、いかに理屈の通った話をして

患者さんに納得してもらうか、ということに、こころを砕いていた。

 

今になってそれを、とても未熟なやり方だったと思い返す。

 

いかにそれがもっともらしい、大事な話だったとしても、

病気を抱える相手に、何時間もかけて、こんこんと話をすることの不親切さに

俺はまったく、気づいていなかったのだ。

 

俺自身の放つ空気、いわゆる“気”と、

相手がスコン!と納得するような、短い言葉で、

理解してもらえるようでなければならない。

 

それが、俺の理想とする「説得」である。

 

だから俺は、本人に会う前に、これまでの経緯や本人の行動、

家族関係などを徹底して調べ、洗い出し、問題の本質となるものを突き止める。

周囲の協力が必要となれば、隣近所から公的機関まで、

家族と一緒に挨拶にいき、頭をさげ、話を通す。

 

そういった行動の積み重ねがあって初めて「説得」ができる。

 

業務が終わって、クライアントの家族が俺に感謝をしてくれるとしたら、

俺の「話」にではなく、「行動」に対して、

「ありがとうございました」と言ってくれているに過ぎない。

 

これは、すべてに共通することだと思う。

俺の師匠の一人は、

「“考えて、行動をとって、結果を出す”ことができる人間が

本当に頭が良く、実力がある人間だ」と、よく言っている。

 

若いうちは、こういうことが、よく分からないかもしれない。

面白いネタをたくさん持っている、話のうまい奴がもてはやされるし

それがあれば世の中渡っていけると、錯覚もする。

 

でも年を重ねるほど、それだけでは勝負にならない。

 

コミュニケーションのノウハウなんて、今やちまたにあふれているし、

本やネットで読んだ、調べれば分かるような話をロジカルに組み立てて、

自分の意見のように話すのが上手いひとは、

この世に、ごまんといるのだ。

 

今は見た目に騙される人間が多いから、

スーパー頭のいい大学を出ているとか、イケメン美人だったら

そういうやり方でも通用するかもしれない。

でも、アホ&ブサイクな俺も含めて、その他大勢は「行動をとって、結果を出す」しかない。

 

逆にものすごく口べたで、寡黙で、面白いことなんて一つも言わなくても、

「行動をとって、結果を出す」ことのできる人間の周りには

ひとが集まるし、みんな、話を聞きたがる。

 

そういうものではないかと思ってます。