家族のかたち

世間では正月三が日から、家庭内のトラブルが相次だ。

 

「母を脅かしてやろうと…」部屋に放火容疑で男逮捕 警視庁

帰省中の弟を「殺そうと思って刺した」男を逮捕

意識不明の母親死亡 横浜の両親切りつけ事件

 

各事件において、どういった経緯があったのか、

詳細はまだ分かっていないようだが、

当ブログの読者の方なら、俺が昨年、さんざん言い続けてきたように、

このような家族(親子)間のトラブルが今後も増え続けるだろうことは、

ご理解いただけると思う。

 

これは、この国における「家族」というものの形が、

過度期を迎えている証ではないかと、俺は考えている。

 

歴史の流れの中で、日本の家族の単位は

大家族から核家族へと変わってきた。

しかし、それに対応できなかった家族の問題が今、噴出しているのだ。

 

たとえば、俺への相談では、精神疾患を理由に働かず、

暴力や暴言で家族を束縛し、金銭的に依存している、

という30~40代に関する相談が、増加している。

 

この年代の家族(親)を見ていて非常に思うことは、

もはや一族としての力は失っているのに、

親だけが「家名」や「家柄」にしがみつき、

子供にもその生き方を強要してきた、ということだ。

 

一族としての結束力があるわけでもなく、

伝統として子供に残せるような価値観もない。

一方で、世間体・見栄を優先するあまり、親から子への愛情もなく

「経済力=愛情」といった育て方をしているケースも多い。

 

子供の自尊心や自立心が育たないのは、当たり前である。

 

一昔前なら、それでも「放蕩息子」として、

ぶらぶら生きていく選択肢もあったかもしれないが、

今の世の中は、経済的にも社会的にも、それを許さない。

 

しかし多くの親たちが、そういった世の流れに気づかず、

子供には、「家柄に見合うような」人柄、進学先、肩書きを求め続け、

「親兄弟を大事にしろ」という概念を、洗脳のように植えつけてきた。

 

そのように育てられてきた子供たちは、進学や就職の段階になって初めて、

自分の能力が、社会に適応しないことに気づいてしまった。

 

時代は変化しているのだから、当たり前なのだが、

そこでも親は、子供の苦しみを慮ろうとせず、

一方的に「働け」「結婚しろ」などと前時代的な価値観を押しつけまくり、

都合が悪くなると、子供を「こころの病気」として放置した。

 

子供たちは今になって、「お前の育て方が悪かったのだ」と、

親(もしくは、自分よりも社会適応して生きている兄弟姉妹)

に、怒りを向けている。

だから、家庭内での事件も増える。

 

こうした流れを踏まえても、

これから先の時代は、家族がそれぞれ、

いかに「自立」して生きられるか、をしっかり考えることが、

大きな課題になるのではないだろうか。

 

家族というかたちについて、法律や制度上で、

変えられること、変えるべきことも、たくさんあるように思う。

 

幼い子供への教育のテーマも「自立」に尽きるし、

それを大人たちが真剣に考えていくことが、

この国に底力をつける、方法の一つではないだろうか。

 

そのなかで、俺は俺の役割として、

今、親に依存し、家庭内で暴れている若者たちに対して

いかにして家族と距離を保ち、自立の道を歩めるよう導くか、

という問題に、真摯に向き合っていくつもりだ。